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「十戒と主の祈り」
鈴木英昭著
(元日本キリスト改革派名古屋教会牧師)
=盗み=
第八戒③・良き管理人
ルカ福音書19:11~27
第八戒として、人を盗むことを第一に考えられ、次に不正な秤を用いることが盗みであることを知りました。今回は、自分に与えられているものをよく管理しないこと、用いないことも盗みであるということを学びます。
聖書から明らかなように、神はイスラエルの人々がそれぞれ財産を所有することを前提としておられます。アハブ王がナボトに葡萄畑を手に入れようと代金を払うか、あるいは自分の畑と交換してくれるように頼みましたが、ナボトに断られた(列王上21章)ほどです。使徒言行録4章には、初代教会に信者たちが自分の財産を売って、教会のために献げましたが、強制されてそうしたのではありません。アナニヤとサッピラの事件(使徒5章)からも、同じことが言えます。私有財産ということが前提とされ
ています。
主イエスの譬え話の中のタラントンの譬え話(マタイ25章)とムナの譬え話(ルカ19章)とはよく似ていますが、違う点があります。前者は貸し与えられていた金額が人によって違いましたが、後者では、主人から貸し与えられた金額は10人がみな同じように1ムナでした。主人が旅から帰ってくると、彼らの仕事の成果を問いました。そして、10ムナ儲けた人にも、5ムナ儲けた人にも同じように、主人は「良くやった」と言いました。しかし、1ムナを全くた使わなかった僕には、「悪い僕」と言われ、その1ムナは取り上げられ、10ムナを儲けた人に与えられてしまいました。
このことからも明らかなように、自分に与えられているものの多少に関係なく、浪費すればもちろんのこと、与えられたものを用いなかったということで、神のものを盗んだことになります。つまり神は私たち信仰者が消極的な生き方をすることを良しとされないということです。
愛知県は貯蓄率が日本一と聞いたことがあります。それは良いことです。先回学びましたように、貯蓄それ自体は目的ではなく、何かのための手段です。貯蓄が目的になると貪欲に陥ります。しかし、キリスト者はもっと大事な基本を聖書から教えられています。
それは、神だけが天地を所有しておられるように、神だけが私たちの持っている全てのものの所有者であるということです。神との関係で見る時、私たちは良き管理人という立場であり、所有者ではないのです。持っているものは預けられているものだからです。ただ、私たちが所有者であると言えるのは、人間同士の関係の中に於いてです。「わたしのもの」、「あなたのもの」という意味では合法的な所有者です。その上で、パウロは気前の良さを勧めます。「キリストが富んでおられたのに、私たちのために貧しくなられた」(Ⅱコリント8:9)ことを模範にすべきだからです。神に信頼された管理人であることを忘れないようにしましょう。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」