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「今月のことば」
主の分はその民であって、ヤコブはその定められた嗣業である。
主はこれを荒野の地で見いだし、獣のほえる荒れ地で会い、
これをめぐり囲んでいたわり、目のひとみのように守られた。
=申命記32:9~10=
真夏の太陽の恵みを受けて多くの命の糧が育ち、実を結ぼうとしています。同時に世界の各地では新型コロナウイルス禍の影響下にあって、先の見えない不安と焦り、諦めの刹那的な快楽に逃れようとしています。しかし、それは虚しいことです。
「今月のことば」は、主を信じ、神のみ手の業に信頼し、神の愛に生きるようにと私たちに、確かさを約束してくださっていることをお示しくださっているみ言葉です。
主なる神様は愛する民(信仰者)のために、特別な愛を持っておられます。聖書の神は、私たちを、その御血で贖われ、希望なくさまよい、神を知らずに歩んでいた欲望の荒れ野で私たちを見いだし、死から救われた幼子を母が抱くよりも優しく、恵みのみ国へと抱き、帰ってくださいました。「まぶたが目をおおって危険を防ぐように」、神はその愛する者をその心でお守りくださいます。
神を信じる人々は神の子供らです。神の誉れ、神の讃美です。キリストの日に、主はそのすべての聖徒たちによって栄光のご自身を現わし、すべての信じる人々によって、不思議なご自身をお現わしになります。その日は、神様によるその民にとっても大いなる日であります。神以外で最も偉大とされるものは、救われた人間であります。その他のあらゆるものは神によって造られたものでありますが、キリスト者は神より生まれた者であります。子供が両親の一部であるように、新しく生まれた人は神の一部なのであります。
主の民は主の嗣業であります。鷲がその雛を覆うように、主は羽根を広げて、私たちをその翼に乗せて、また覆って守り、御国へと運ばれるお方です。
この神を知り、信じ、お委ねする日々こそ、困難に生きる私たちの希望であり、光なのではないでしょうか!
<讃美歌 286>
1 かみはわがちから、わがたかきやぐら、
くるしめるときの ちかきたすけなり。
3 かみのみやこには しずかにながるる
きよき河ありて み民をうるおす。
5 かみのみもとべは つねにやすらけく、
くるしみなやみも 消えてあとぞなき。 アーメン
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」