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「キリスト教百話」
問29 「自殺」のことはどう考えたらよいでしょうか。残された者にとっては何とも釈然としないものが感じられてなりませんが。
答・・3・・
「殺してはならない」という戒めを与えられている神の真意は「生きよ」ということにあります。そして、神は人間が生きるために必要なものを備えて下さいました。それは神がその独り子であるイエス・キリストを人間の間に遣わされることによって、人間を永遠の存在者であられる神様に繋がる者としてくださっているところに示されているのであります。
「殺すな」との神の戒めは自殺について言うなら「わたしはあなたが生きることを願っている。どんなことがあってもあなたを生かす。だからわたしを信じて、自分で自分の死を決めることはないのだよ」という勧めになります。ここに神の愛が示されているのでありまして、この神の愛が、死ぬべき者を永遠の命に生きる者とし、死んだ者に新しい命を与えられるのであります。
ペトロの手紙には「霊においてキリストは、囚われていた霊たちのところへ行って宣教されました」(Ⅰペトロ3:19)とあります。「捕らわれていた霊」というものが、自分の思いだけに囚われている人のこととすれば、見えない力に支配されて自分だけの世界に閉じ込められていた自殺者も、神の語り掛けを受けて新しく、神と共に生きる世界へと導かれるに違いありません。
神には、人間の絶望を超克する力があって、それが絶望をも希望に変えることを信じてよろしいのではないでしょうか。キリストによって示される神は「神は愛なり」と言える神であられるからです。
篠田 潔
(日本基督教団隠退教師・元中部日本放送「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
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「緑のまきば」
「聖霊とその働き」