[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
『その愛のゆえに』
=時々の記=
(175)
8月12日
一日に何度も励ましのメールを下さい、心から感謝いたします。やはり娘の近くの病院にしてよかったと考えています。自転車でも15分で行けるというのですから。15日に診療所の先生が予約を入れてくださったのはとてもうれしく思います。若いころから何かあるとなかなか寝付けなかった私です。生まれ持ったものなのです。亡き父の一番下の妹。私からすると叔母は38歳で乳がんになりました。当時はその治療法も進んでいない中、東京まで出てきて治療を受けていたようです。その叔母は元気になり、一昨年90歳で亡くなりました。そんなことも思い出されるのです。
8月14日
こんにちは。入院の準備を整えて家を出発いたしました。市民病院の前で娘と出会うことができました。いろんな手続きを娘がほとんどしてくれました。助かりました。娘が一緒に診察室へ入ってくれました。先日のマンモグラフィーの写真を手渡しました。
すると主治医の先生はこれではわからないわね、と言われ、胸のエコーを撮りましょう、ということで念入りに撮ってくださり、また触診もしっかりしてくださいました。その結果、先生曰く、“これはお水が溜まっている水疱というものです”“がんではありません。”“えー!”
私は山添村の検診結果を聞いてから、ほとんど毎晩眠れず、胃腸の調子も壊してしまっているのです。今日はきっと組織の検査入院があると思って入院の準備もしてきました、とまで言いましたが、はっきり水の溜まっている様子をエコー写真で見せていただくと納得しました。
このようなことがあるのだなと・・・。がんと言われて一週間の長かったこと。娘はまだ信用せずにこれががんになるかもわからないから安静にしているようにと言って別れました。
8月16日
やはり昨夜からは今までとは違う眠りができました。薬には頼っていますが、自分でも眠る力が出てきたように感じられます。私自身本当に信仰的にも、肉体的にもなんともろくて弱いものかということを思い知りました。このような者ではありますが、これからも「ジャーナル友の皆様」のお祈りでと支えてくださいますようにお願いいたします。
灯火親し人魚姫の一途さよ。
うつうつと草木茂り過疎進む。
秋立つや聞かむとすなる神の声。
西行の眺めし秋の夕日かな。
草の露好き通りもす朝日かな。 馬場路哉
8月17日
この暑さ。名古屋はさらに暑さ厳しいことでしょう。私も今週に入って少しずつ平常心を取り戻しつつあります。8月7日からは取り乱してしまいました。それを何度も受け止めてくださり、支えてくださり、申し訳なさでいっぱいです。でも心から感謝しています。昨夜は薬の力も借りましたが眠り方がさわやかでした。私のようなこんな鈍いものでもこれだけ大きなダメージが体のあちこちに影響するのですね。今朝、主人が精神科の先生が処方してくださったお薬を上野まで取りに行ってくれました。
忙しき日々なるツバメ帰りけり。
朝顔の紫浅くまた深く。
白雲の近くへ上る帰燕かな。
荒梅雨や一方ならず長引きぬ。 馬場路哉
9月3日
大型、超大型と二つも相次いで日本列島を襲いかかろうとしています。平和な、平穏な日々をお与えください、と祈る日々です。最近はシューベルトのピアノソナタを毎晩聞きながら休むことにしています。というのもシューベルトは曲を作り上げるときに“永遠の命”があることを確信していたと、添え書きれていました。確かに聞いているうちにどこか秋めいた雰囲気の中、平安な気持ちになり眠りへと誘ってくれるのです。
緑陰に新型特急眺めけり。
朝顔に庭の景色の定まりぬ。
灯火親し情熱的なリルケの詩。
秋暑この四隅は風通る。
マスカットイエスの言葉瑞みずし。 馬場路哉
9月8日
9月に入ったばかりなのに、実った稲穂が見られません。よく見るとどの家の田んぼもすっかり刈り取ってあります。稲の収穫は10月頃でしたのに。この頃はひと月以上も前倒しです。台風の被害にあわないようにするためと、獣たちに食べられないようにするために早めているそうです。でもどの稲穂もまだ青いのです。うっすら黄緑色になる景色を見てきた私には、信じられない光景です。
すべてが大きな機械で手際よくなされていきます。秋を感じることもなくあちこちの田んぼは刈り取られた後の株だけが残っています。山添ではお米作りの後継者がおらず、大阪から業者さんを雇っているとのことです。なんだか不自然ですが致し方ありません。
熟睡のでき有難き秋初め。
朝顔の盛りと揃ふ朝かな。
演奏するかに風鈴売られけり。
広ごれる棚田の脇や破れ芭蕉。
灯火親し一心に読むリルケの詩 馬場路哉
そろそろ秋風が吹き出してもよいのでは、と空を恨めしく眺めています。毎日、朝、起きるときにしこりの状態を触ってみます。大きくなっていないか調べるためです。どうしてこのようなものができたのか、またできるのか、詳しく知りたい気持ちになります。何を考えても仕方がありませんから、無心になって散歩に出かけます。朝の散歩では皆さんと声を掛け合って励ましあっています。ちょうど散歩コースには同じような年齢の方が3人います。
馬場暁美
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」