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「今月のことば」
「こういうわけだから、あなたがたは偽りを捨てて、おのおの隣人に対して、真実を語りなさい。わしたちは、お互いに肢体なのであるから。」
=エペソ4:25=
台風9号、10号は今まで経験したことのないもの、という言葉におどろきました。そうして今それが去り、そのようなことが無かったかのような平常の生活に戻っています。「日常の平穏な生活」は、感謝なことですが、コロナ禍の影響で、あらゆる生活が見直され始めてもいます。
さて、キリスト者が真実・真理を語るのは、当然のことと考えますが、そうではないのです。キリスト者もまた、あらゆる種類の罪に誘惑され、偽りを言う誘惑は、確かに多くのキリスト者の心に潜んでいると言えます。もし私たちが語る、言葉を「真実という秤にかけるとすれば」、不真実と偽りとが、どんなに多く、また日々の信仰生活や日常生活に囚われているかが分かります。
しかし最も悪いことは、私たちの偽りを言うことが罪であると悟ることが、大変困難であるように見えることであります。私たちは約束しますが、これを守りません。信用という言葉を使いつつ裏切り、裏切られて生きています。「都合の良い断り方」を身に着け、世の中を渡る術を身に着けることを「処世術」と言うようです。「あまり几帳面に考えるより、そんなに気にかける必要はないよ」という言葉と思いに日々毒されてしまっています。世の中ってそういうもの・・・と自分を正当化さえしています。
それは、世の中だけではありません。「今月のことば」は、私たち一人一人に問いかけています。それは、教会も例外では決してありません。
「裸の恥を見られないように、目をさまし着物を身に着けている者は、さいわいである」という言葉を思い出しました。
悪しき心の 罪に傾けば、偽りの罠、罪にひかるるなり。
悪しき思いの心あれば、サタンはわれらを縛るなり。
地獄のひとことは、その呪いの力を、
いざないもてアダムに投げしごとく、
ひとりの人によりて人類は 罪の下に打ち倒されぬ。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」