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バラ・マカルピン 日本伝道百年史
水垣 清著
(元中津川教会牧師・元「キリストへの時間」ラジオ説教者)
16 日本宣教50年・・3・・
3 日本以外に存した、こういう障害物が取り去られたと同時に、日本のものに在った障害物も取り去られたと言うことは更に驚くべきことであります。私は48年前の11月11日に日本に到着しましたが、到着した際すでにこういうことが私の心に現れてきたと言うことだけは言えると思う。
第一の障害物は多数の仏教の宗派と仏教僧侶の能く整った階級であった。神道や儒教はもとより看過されていなかったが、日本国民の大多数を占めたその勢力は、仏教に比すればすこぶる僅少の様におもわれました。私の最初の教師は寺の先生であった。勿論私は、いろんな仏教の宗派や、教養や、礼式や服装などに興味をもつようになった。上手な裁縫師は巧みに彩色をした一組の僧衣を私に造ってくれました。
特に初めて、私の聴いた僧侶の説教が如何にも熱心であったのと、その聴衆からうけた印象とで、私は非常に感動した。
聴衆と言うのは、大部分は年のいった婦人で、多くは頭を剃っていた。その他のものは頭の上に小さな三角形の青い布をのせていたので、頭のてっぺんを剃った古い風俗をまねているようであった。つまり婦人は罪が深いものであったから極楽へ行くのには男となるか、或いは尼となるしかなかったのであります。
説教者の話が高調に達すると、聴衆は皆熱心に合掌するのに、私は非常に心を動かされました。ただに仏前の前にある賽銭箱にお金を投げるばかりでなく、皆一斉に南無阿弥陀仏を称えるのです。私は「神には栄光あれ」と叫んだ昔の幕屋の集会を思い出さずにはいられなかったのです。
で、私はひとり心の中でおもった、「仏教に向かってばかり熱心な信仰をもっている人民が、どうしてキリスト教を受け入れることが出来るか」と。この無数の勢力のある仏教徒の一階級をどうして取り除きうるのであろうか、彼等は一向宗、門徒宗及び現在の真宗を除けば、公然たる独身主義者、菜食主義者である。門徒宗のものは結婚すれば肉も食う。そして一人の仏神を拝む、祈りよりも説教を信ずる。行いよりも信仰で救われると信じている。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」