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十戒と主の祈り
鈴木英昭著
(元日本キリスト改革派名古屋教会牧師)
=偽証=
第九戒① 裁きにおける不正
ルツ4:1~10
主は殺人、姦淫、盗みを禁じられました。なぜなら、この三つが関係する生命と、家庭と、所有が守られることが、人間の社会にとっては基本的な必要事項だからです。そして、この三つの戒めと関係しているのがこの「偽証してはならない」の戒めです。
なぜなら、殺人、姦淫、盗みがなされるのは、正義が守られていないからで、反対に不正が起こるのは、偽証がまかり通るからです。特に、裁きにおいて不正がまかり通るからです。町の長老たちの裁きの典型的な実例が、このボアズがルツを妻とするために、なされた裁定に見られます。長老たちや証人たちが賄賂をもって事実を曲げるということで、不正な裁きをすることがこの第九戒の中心的な関心事です。
アハブの妻イゼベルが、偽証人たちを用いてナボトについて偽りの証言をさせて、彼の命を奪い、そのぶどう畑を夫のために奪ったことに見られますように(Ⅰ列王記21章)、それは第六戒、第八戒、第九戒、第十戒の違反です。これは社会を破壊させることになります。
裁くためには、いろいろの方法が採られました。預言者サムエルは巡回することによって、地方を裁きます(Ⅰサムエル7:16~17)。ユダの王ヨシュヤファトは町々に裁判官を任命して、主のために正しい裁きをするように命じています(Ⅱ歴代誌19:5~7)。また、エズラは捕囚の地で人々に主の律法を教え、主の知恵によって裁きをするものを任命するように命じています(エズラ:25)。
偽証しないようにするためには、二つのことが重要になります。
その第一は、証言する人々が真実を証言しても、不正な圧力がかけられる心配がないという保証があることです。内部告発が可能な社会であることが望ましいことです。
第二に、真実を訴える制度があっても、それが実質的に機能しない場合、それはさらに困難になります。コへレトの言葉3章16節にこういう言葉があります。「太陽の下、さらにわたしは見た。裁きの座に悪が、正義の座に悪があることを」。
江戸時代の五人組制度の時代、ソ連の粛正の時代、中国の文化大革命の時代、イラクのフセインの時代、北朝鮮について聞かされている現状など、真実を話すことができなくなれば、この戒めを守ることは困難です。
したがって、この戒めは単なる「うそ」の問題にとどまらないで、このように、人の名誉、生命、財産、結婚などに関係してきます。この十年から二十年くらいの間に、世界も日本もこの点で下降線をたどってきたように感じられます 。主流の教会と言われる教会自身が、中央集権的な政治力学に支配される時、その与える影響は教会だけに留まることはありません。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」