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第97課 パウロも宣教活動とその計画
=15:14~33=異邦人宣教師としてのパウロの働き・・21・・
・・・15:14~21・・・4・・・
「異邦人を従順にするために、キリストが私を用いて、言葉とわざ、・・・」(18節B)。
「異邦人を従順にする」ということは、「キリストの福音の要求に従順にさせる」ということである。彼らは言葉のみでなく、業によって従順されるのである。すなわち、福音の真理が彼らに宣べ伝えられるだけでなく、その伝道の業が聖霊の内的な働きによって伴われ、彼らの救いに有効に働くようにされるからである。福音の宣教という外的な働きは必要なことは勿論であるが、それだけでは人を救いに至らせるには十分ではない。
それに加えて聖霊の有効な内的な働きがなくてはならないのである。使徒行伝16:14を参照。そこでは主がルデヤの心を開かれたので、彼女はパウロの語ることを理解できたのである。メッセージによる外的な伝道のみでは力がないという事実は、本当の効果を期待するには、聖霊に依存しなくてはならないということを私たちに銘記させるのである。聖霊の力が新しい生命を与えなければ、大衆伝道も宣教活動も一人の魂をも救いに導く者とはならないのだ。従って、私たちは生命を与える聖霊の働きが、神の御言葉の宣教に伴うように、不断に熱心に祈らなければならない。
「しるしと不思議との力、聖霊の力によって、働かせて下さった・・・」(19節a)。直訳すると、「しるしと不思議との力において、聖霊の力により」となる。
これら二つの形の力がパウロの異邦人伝道を有効にしたのであった。
第一には、ここで「しるしと不思議」と言われているものの役割、奇跡の力があった。第二には聞く者の心に働く聖霊の力であった。
奇跡が「しるし」と呼ばれているのは、それが人間の歴史の中に神が直接に働かれることの現れであるからだ。奇跡というのは神の創造的・直接的な働きの例であって、神が自然法則を通じて働かれる通常の形の働きとは区別されるのである。
人間に食物を供給するためには気候と日光と雨と土壌という自然を通じて、種を発芽させ、成長させ、収穫して、その穀物を曳いて粉にしてパンを作る。それはみな神の業であるが、これは奇跡ではない。何故ならば、それは自然の手段を用いているからである。それは摂理の業である。即座に五つのパンと二つの魚を増やして一度に五千人の人々を養うことは奇跡である。自然の法則や力はそれを説明することが出来ない。それは神の直接的な働ききによることである。それは自然の秩序の産物ではないので、自然科学によっては説明できないのである。
J・G・ヴォス著、
玉木 鎮訳(日本キリスト改革派教会引退教師)
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」