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十戒と主の祈り
鈴木英昭著
(元日本キリスト改革派名古屋教会牧師)
=偽証=
第九戒②・偽りとなるもの
マタイ26:57~64
信仰者は偽証しまいと努力しても、結果的に偽証したことになることがあるため、気を付ける必要があることが三つあります。
第一は良くない噂話。すなわち、ゴシップです。
このゴシップは必ずしも偽りそのものではありません。なぜなら、ゴシップには真実なことを広めるという面があるからです。しかし、それは同時に真実を語っても噂話がなされる状況には誤解を与える要素がないわけではありません。隣人の失敗、欠点、足りない面などは、話の材料として人の関心を引くものだからです。人の優れている点よりも劣っている点が話題になることの方が、一般には関心を引きつけると言われています。そのため、人の良い評判はすぐに盗まれてしまい、なかなか返へしてもらえない。どういうことかと言いますと、その人の良い噂話は人々の間に行きわたっていって、その人のところへ帰ってこないが、悪い噂と言うものはすぐに帰ってくるほど早く行きわたると言うことです。
第二は、早とちりによる判断は、隣人を誤って理解し、その人を扱うことになる場合に、偽りを生むことがあります。
今回の聖書個所にありますように、主イエスの弟子たちは、エルサレムの神殿の入り口に座って物乞いをしていた一人の盲人を見て、弟子たちは、この生まれつきの盲人は本人の罪のためか、それとも彼の両親の罪のためか、と主に尋ねました。そう思い込んでしまっていたからです。
昔、アブサロムに裏切られて、エルサレムを脱出した時、ダビデは、主人のヨナタンの息子で歩けないメフィポシェトの安否を、従者のツィバに尋ねると、ツィバは「エルサレムに留まっています。『イスラエルの家は今日、父の王座をわたしに返す』と申していました」と答えると、ダビデは彼に、「それではメフィポシェトに属する物はすべてお前のものにしてよろしい」と言いました。ダビデはメフィポシェトが自分に反逆したと早とちりしたのです。しかし事実、彼はエルサレムに留まっていましたが、エルサレムを離れようとした時、妨げられてしまったのです(同19:28)。
第三は中傷することです。これはゴシップと違って、面と向かって、意図的に誹謗することです。そして中傷は偽りの上に真実の上着を着せ、一見偽りでないかのように装います。主イエスが「この男は、神の神殿を打ち倒し、三日あれば建てることができる(マタイ26:61)と言ったと非難されます。しかし、主が言われたのは、ご自分の体の復活のことでした(ヨハネ2:19)。
こういうわけですから、私たちは極力、中傷しないことです。パウロはこう言います。「ですから、主が来られるまでは、先走ってなにも裁いてはいけません。主は闇の中の隠されている秘密を明るみに出し、人の心の企てを明らかにされます」(Ⅰコリント4:5)。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」