[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
「今月のことば」
イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらなければ、父のみもとに行くことはできない」。
=ヨハネ14:6=
2021年をお迎えになられた皆様の上に、神様が下さるお守りと祝福多い年になりますように、また、このコロナ禍が収束され平安が与えられますように、お祈りいたします。このために懸命に尽力されている政治・行政にかかわる人々、大病院、専門病院ばかりでなく、多くの個人病院で私たちの健康を支えておられ、医療に献身的に関わっている方々、家族のために心をお砕きのお一人、お一人が「支え人」になられている皆様の心と健康が守られますように、お祈りいたします。
このような先の見通せない時であるからこそ、このみ言葉を通して考えてみたく思いました。
この「彼」とは、弟子のトマスであり、そうして私たちでもあります。その時のトマスは、このみ言葉の道は深くは知りません。あらゆるものがトマスには、縺れた糸であり、事の全てが不明瞭に見えていたのです。彼の生涯はきっと堅実さを追い求め、大切にして生きる人間だったと思います。だからこそ、真面目に迷うのでしょう。
トマスにはイエス様がどこに行かれるのか、自分はどこに行こうとしているのか、分かりません。その思いの乱れ、縺れるのは、トマス一人ではありません。他の弟子たちもかも知れません。私たちはたびたび疑問を持ちますが、それは日常の単なる迷いかもしれませんが、事が人生の歩み、生き方の迷いに立ち向かう時、「真理・真実」に出会いたいと心から願うでしょう。それが救いの道、天国への道に進んでいるか否かは、誰もが探し求めるものです。まことの信仰の道を求める方もおられるでしょう。自分の信仰を振り返る方もおられるでしょう。その問いかけに、はっきりとした道を知り、切り開くことの出来る人は、どんなにか幸福であろうかと思います。
真剣に迷い、自問することは大切です。「求めなさい、探しなさい」とイエス様は言われました。そうして「耳のあるものは聞きなさい」とも言われています。
イエス様はお答えになりました。光と解決をお示しくださいました。「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらなければ、父のみもとに行くことはできない」と。
私たちにとって真に必要なものは、このイエス様のお招きに真摯に応え、受け入れることです。
2021年、この神様の招きのみ言葉に、教会に行くことに、そうして、それを大切にする日々でありたいと思います。
「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ、主はそれをなしとげる」(詩編37:5)。
道にして、真理、命にいます主よ、
その道を知り、真理をはなれず、命を得させたまえ。
そのよろこびを、とこしえにあふれしめたまえ。 アーメン
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」