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第97課 パウロも宣教活動とその計画
=15:14~33=異邦人宣教師としてのパウロの働き・・21・・
・・・15:14~21・・・5・・・
「異邦人を従順にするために、キリストが私を用いて、言葉とわざ、・・・」(18節B)。
奇跡はまた不思議とも言われる。それが、それを目撃する人々の心の上に生み出す効果のゆえに、そう呼ばれるのである。それらは人々を驚かし、考えさせて、その神の直接的な働きがあること認識させるのである。したがって奇跡は福音の信任状(credential)のようなものである。神だけが奇跡をお行われるから、その奇跡を伴うメッセージは神よりのものであることが分かるのである。パウロによって行われた奇跡については使徒行伝19:11~12を参照すること。
奇跡の力の外に、パウロは聖霊の力を語っている。奇跡に加えて(奇跡自体が聖霊の働きであるが)、人間の心の中には聖霊の力強い働きがあるからである。この働きの結果、選ばれた人々に回心が起こるのである。Ⅰコリント2:4を参照。ここでパウロはわたしの言葉もわたしの宣教も、巧みな知恵の言葉によらないで、霊と力との召命によったのである」と言っている。パウロは自分の宣教者としての能力に依存しないで、ただ宣教の言葉と共に働く聖霊の働きに依存していたのである。
パウロは付け加えて、「エルサレムから始まり、巡りめぐってイルリコに至るまで」と述べている。イルリコはいまのユーゴスラビアとアルバニヤの領域に入っている。パウロがこの手紙を書いた時には、まだローマに行ったことはなかったことを覚えておかなければならない。当時イルリコはパウロが福音を宣べ伝えた地域の限界であった。このようは広大な地域にパウロは伝道し、教会を建て、贖い主の国を進展させてきたのであった。このことを考えるとパウロが神によって召しを受けたキリストの福音の役者(えきしゃ)であったことが一点の疑いもなく解るのである。
J・G・ヴォス著、
玉木 鎮訳(日本キリスト改革派教会引退教師)
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」