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バラ・マカルピン 日本伝道百年史
水垣 清著
(元中津川教会牧師・元「キリストへの時間」ラジオ説教者)
16 日本宣教50年・・6・・
5 日本に安心して居住されなかった第三の理由は、政令が二途より出たことです。それから将軍政府の下にある港だけは特定されてあった外国貿易に対して、多くの有力な大名が不満を抱いていたことです。多くの人々を動かし、特に世に勤王家を動かした攘夷の精神は外国人に対して攻撃が行われるという警報や噂を生み出すようになりました。何日までに外国人を放逐せよという勅令が発布された。
それは将軍政府によって遂行されはしなかったが、長州公によって、下関海戦を促し、数か国の船舶に発砲するようになったのであります。将軍の政府は、長州の挙をしいて止めることができないということを宣言したので、当該数か国によって下関にあった砲台が攻撃され、遂に長州は降伏してしまいました。同じようなひどい責罰は、薩摩の首都鹿児島の上にも見舞われました。
と言うのは、一人の若いイギリス人が首を斬られた上に、それと一緒に行ったほかの三人も命を奪われようとしたので、それがたまたま日本の中でも、最も戦争好きな党派である鹿児島をして外国人に対する放埓な攻撃を止めさせる原因となったのであります。
そして(中略)遂に最後の将軍にして最も気高い一橋家(慶喜公)の自譲忠君愛国の精神にこの血生臭い革命も終わりを告げました。これらのものの中に奇しき業をなし給う神の御手は最も明らかに現れています。・・・・仏教に対しては国教の権が奪われ、士族にも階級が排除され、二重政府の形も苦しい夜の如く、朝の近づくと共に消え去ってしまったのです。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」