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十戒と主の祈り
鈴木英昭著
(元日本キリスト改革派名古屋教会牧師)
=偽証=
第九戒③・必要なうそ
ヨシュア記2:1~16
うそには大きく分けて、三種のものがあると言われています。悪意のうそ、冗談のうそ、そして必要なうその三つです。第一の悪意のうそは明らかなもので、この偽りによって人に害を与えることになるので禁じられています。第二のうそは、真実ではないのですが、それを言うことで人を欺くのが目的でなく、事実ではないことを言って、笑わせる場合です。
難しいのは、第三の必要なうそという問題です。そこで語られるうその内容は真実ではないのですが、その時、うそが必要であるという難しい場合です。例えば、よく例に出されることとして、第二次世界大戦下のドイツによるユダヤ人迫害に対して、彼らをかくまったクリスチャンたちが採った態度です。
この「必要な」ということは、自分のために必要なというよりも、隣人のために必要なうそということです。真実を語ることで隣人の命が危険になる場合、第六戒を犯す罪は第九戒を犯す罪より重いからということもできます。アウグスチヌスは、必要なうそであっても禁じるべきであると考えたのは、うそは罪であり、うそのために肉体は死ぬことがあっても、偽りを避けることで、魂は生きることになると考えたからです。
しかし、この必要なうそに関連して聖書の中に幾つかの実例があることを、思い浮かべることができます。モーセの誕生に関連して、エジプトの王ファラオが、ヘブライ人に生まれる男子をすべて殺すように、助産婦のシフラとプアに命じた時、神を畏れていた彼女たちは、それに従いませんでした。「ヘブライ人の女は元気なため、助産婦が行く前に産んでしまうのです」(出エジプト1・19)と答えました。それで、「神はこの助産婦たちに恵みを与えられた」(10)とあります。
また、エリコのラハブはヨシュアが遣わした二人の斥候を匿い、調べに来た者たちには真実を告げず、時期を見てヨルダン川を渡って戻って行く策を教えて助けました。新約聖書にはこのことを評価しています(ヘブライ11:31、ヤコブ2:25)。似ているもう一つの実例は、バフリムのところに来たダビデの家来二人を井戸の中に入れふたをして隠し、アブサロムの僕に偽りを語って彼らを助けました(サムエル下17:19~20)。
戦争において戦略的に敵の目をくらますことは、単なる偽りとはちがいます。ヨシュアがアイと戦った時、主なる神は荒れに街の裏手から攻めるのに夜の暗闇の中、町から兵士をおびきだす戦略を教えました(ヨシュア8:1~8)。また、主はダビデにペリシテ人を待ち伏せして、出てきたところを襲う戦略を授けられました(サムエル下5:22~25)。
アブラハムとイサクがエジプトへ行った時、彼らは自分たちの妻が妹だと言いました。確かに全くの偽りではなかったとしても、これは必要なうそでなく、禁じられている偽りです。妻に姦淫の罪を犯させることになりうるからです。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」