[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
世田谷通信(209)
猫草
睡眠は不思議だといつも思う。眠い時は寝てはいけない時だし、寝なければと思うと寝られない。以前は仕事の前日はちゃんと「眠らなくてはいけない」がプレッシャーになって、寝られないと自分を責めたりした。それは「夜は寝るもの」という強い刷り込み。大事な試験やイベント前に寝られないと悪い結果をもたらす、睡眠不足は諸悪の根源との思いこみがあったからだと思う。
もうそれは最近どうでもいい。ごく短時間目を閉じていてもいいし、寝られなければ別のことをすればいい。本を読む、動画を見る、文章を書く、明日やるべきことを書き出す。やらなければならないこと、やりたいこと、買うもの、行きたい場所、欲しいもの、気になっていることをリストアップする。そうすると、どこかで自分の中でコツンとぶつかる。あ、これか。このせいか。
自分の中に眠りを妨げていた棘のような、時に石ころのような、そんな塊がある。解消はしなくても不安の存在がはっきりするだけで、ちょっと勝った気になる。
気を紛らわす方法もいろいろある。最近のお気に入りは塗香(ずこう)である。それを耳かき一杯ぐらい、ほんのひとつまみを手で温めると掌に芳香が広がる。白檀などの香木のブレンドらしいが、数種類のサンプルの中でこれだ!と思った。昔、長男が小学生の時に、一緒にいった旅行先の奈良で嗅いだ香り。根拠はないがそう思った。その時の風景が瞬時によみがえったからだ。人間の記憶は脳のあちこちに格納されているのだろうが薫りで開くこともあるらしい。
夜中に目が覚めることも何かのきっかけと思えばいい。24時間の使い方は自分で決める。睡眠は敵ではない、義務でもない。単に自分のリセット時間なのだ。起きているときに何をするかを考えたらいい、当たり前のことだが、あえて言葉にすると、自分がとらわれていることから少しだけ解放されるような気がする。小さなことから越えていけたらいい。ちょっとずつ。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」