[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
「小閑記」
兄弟たちよ。こういうわけで、わたしたちはイエスの血によって、はばかることなく聖所にはいることができ、彼の肉体なる幕をとおり、わたしたちのために開いてくださった新しい生きた道をとおって、はいって行くことができるのであり、さらに神の家を治める大いなる祭司があるのだから。
=へブル10:19~21=
このみ言葉には、信仰者としての言い得ない希望をお与えくださいます。日々の生活で一番の不安は先の見えないことではないでしょうか。「思い煩い」はここにあり、人は悩みます。テレビのニュースや新聞の見出しは、「先の見えない…」という言葉に満ち溢れ、社会全体が不安と恐怖症と諦めに陥っている昨今、この神の御備え下さる約束は、それを拭い去り、一掃してくださいます。
先の見えない日々以上に、その生涯の先を考えるとより一層不安に陥り、逃れるために、人は何かを求めて彷徨うのです。
私たちの進むべき道、神と共に生きる道をこのみ言葉は示しています。それは、活ける神のみもとへ行くことできる歩みです。
イエスへの道は開かれています。それを妨げる罪は、イエスの十字架の御血によって、その道を歩く権利は、イエス・キリストを救い主と信じる者に与えられているという事実です。私たちの足で歩くのではなく、神のみ手をもって導き給うみ霊によって歩き続けるという約束です。
この約束を日々の生活の中に生かされることを願う日々に、何があるでしょうか!
主をほめ讃え、主に感謝し、夜も昼も主を礼拝せずにいられないでしょう。天の御父は、喜びをもって、私たちを迎えて下さいます。この神への礼拝の時は、私たちは正直に、全ての必要なことを主に打ち明け、重荷について、心傷めるすべての事をお話しする唯一の時なのです。
この神様を礼拝する時を大切にすることこそ、「新しい道」なのです。
讃美歌405番
1 かみともにいまして ゆく道をまもり、
あめの御糧(みかて)もて ちからをあたえませ。
(おりかえし)
また会う日まで、また会う日まで、
かみのまもり、汝(な)身を離れざれ。 アーメン
2 荒野(あれの)をゆくときも あらし吹くときも、
ゆくてをしめして たえずみちびきませ。
3 御門(みかど)入る日まで いつくしみひろき、
みつばさのかげに たえずはぐみませ。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」