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『その愛のゆえに』
=時々の記=
(180)
1月20日
曇っていた空にお日様が顔を出して、明るくなっています。明日からは気温が上がって3月並みになるというのですから、うれしい限りです。大寒というのにです。これからは三寒四温という形で暖かい日が増えていくのでしょう。そして立春を迎えるのですね。早く来い、暖かい春さんと春を待っているのです。
滅びゆく村の賑はふ二日かな。
聖餐に侍りもしたる老いの春。(久しぶりに聖餐の礼典にあずかることができて感謝しました。)
寒椿もう開くかと見上げけり。
一月の山の細流鳴りにけり。
北風の轟き渡る並木道。(毎日の散歩道です) 馬場路哉
何かと不便な毎日ですが、最後まで耐え忍ぶものは幸いである、とのみ言葉を覚えて平安が訪れるのを待っています。
1月28日
3日ほど前までは春を感じさせるような日和でしたので、ついつい、浮かれ気分になってしまいました。朝の散歩では足元に気を付けながらです。雪が降っていなくても雨の後は滑りやすくなっていますから、ぼちぼち歩きです。毎朝、散歩の途中で出会う方も同じようにして歩いています。つい、長話になってしまいます。皆さん発散したいのでしょうね。いつまでも同じ調子で家の中にばかりでは退屈になってくるのでしょう。散歩で出会うと村のあちこちの近況を伝え合うようにしています。最近ではひと月足らずのうちに4軒も空き家になってしまいました。転倒して足の骨を骨折した人。顔の頬の骨を骨折した人。発見が遅れて救急搬送されたのですが亡くなられた方が二人。散歩道にある家ですからその家の前を歩くたびについ最近までは声を掛け合っていたのにと、とても寂しくなります。これも年を重ねてのことですから仕方がないことなのでしょうが。
1月31日
礼拝に行こうと思って準備をしていたら急な来客で遮られてしまいました。賛美歌を後で歌って礼拝をしました。今朝の散歩であちこちに梅の花が咲いているのが目に入りました。1月にこの山添村で梅の花を見るというのは初めてのような気がいたします。寒波がやってきたのに、その前に何度か暖かい日が続いたからでしょうか。春の花を見ることができるのはとても感謝です
旭川作家を思ふ寒波かな。(三浦綾子。のことです。)
山峡や鈴鹿の雪を望みもす。
初雪や桜の枝を鮮やかに。(散歩道の土手に大きな桜の木があります。)
山燃ゆるかの夕焼や日脚伸ぶ。
湛えたる緑も深し冬の湖。 馬場路哉
あまりにも良い日和です。家の中にいるのがもったいなく思い、しばらく外で日向ぼっこをしていました。太陽の光を浴びて居眠りが出てきそうです。
2月7日
春を告げる蝋梅が土手に花を咲かせました。香りがよく、そばを通り過ぎるとほのかな酸っぱい香りが漂ってきます。お隣の方と久しぶりに日向で雑談をしました。若いころの話が多かったのはお互いに年を重ねているからでしょうか。外はとても暖かく、気持ちがよかったです
寒の月雲を出れば光りけり。
一人居の翁と話す四温かな。(90歳になられますが元気にしておられます。)
早梅の白固まりて屋敷跡。
腱鞘炎恐れて少し剪定す。
八朔の不作や苦み残しける。(今年の八朔はどうしたことかとても口にできるようなものになりませんでした。) 馬場路哉
こうして少しずつ暖かさが増してくると、散歩で出会う方からも笑顔がこぼれます。温かくなってくるのはとても感謝なことですね。
2月13日
花粉が飛び出してきたのかくしゃみや鼻の調子がおかしいこの頃です。目の調子は順調に回復されていることとお察しいたします。でもまだまだ元のようにとは行きませんからしばらくはゆっくり静養なさってください。お祈りしています。また来週は寒の戻りで寒くなるとか。体調管理をしっかりして春を迎えたいものですね。庭には梅が八分咲きです。近づくとよい香りを放って春の訪れを告げてくれています。古木なのですが、よく咲かせてくれているなと感慨深いものがあります。
馬場暁美
「上野緑ヶ丘教会会員」
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」