[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
バラ・マカルピン 日本伝道百年史
水垣 清著
(元中津川教会牧師・元「キリストへの時間」ラジオ説教者)
16 日本宣教50年・・・8・・・
以上のことは真個の記事として一般に許容されることであろうと信じます。もっと他に明らか知られていないことは、ここに述べる価値がないと言うのでは勿論ありません。ヘボン、二人のブラオン即ちR・Sブラオンとナサン・ブラオン。監督ウイリアムス、グリイン、マクレー、等の聖書翻訳者、カクラン、イビイ、ミーチャム、ベンネット、デビス、フーネツト、ゴルドマン、フォールス、ペーム、クレッカー、ベリー、テーラー等の、人々から敬愛を受けた医師と公使、それから、全ての伝道会社に於いて著名な人々、こういう名は銀河の如く輝いています。
「多くの人々に喜びの音信を伝えた婦人」の中には、ブラオン、ピアソン、ツルー、ベントン、ミラーバンベッテン、マコーレ等の夫人がある。独身の女子には、クロスビー、ガスリン、プリテン、ダッドレー、タルコット、スターリング、ウインビシユ、ガードナー、ミリケン、ヤングマン等「生命の言」にその名を記された真理のために働く同労者及び福音伝道者があります。云々・・・」(日本基督教会)。
このバラ先生の講演によって、明治維新の伝道の困難と神に栄光を帰した先生の信仰を窺うことができよう。続いて10月8日(第4日目)午前9時半からの講演で、マカルピン師も7分間奨励された。
先に記した名古屋における各派連合の伝道会は、1910年(明治43)3月16日から6月13日まで第10回関西府県連合共進会場(現鶴舞公園)で90日間に亘って連日の大天幕伝道がなされた。その中心的指導者の一人としてマカルピン師の活躍も大変なものであった。
統計によると説教者述べ327人、度数860回、会衆66,670人、求道者5,624人であった。これは名古屋地方を中心とするキリスト教の伝道成果として、画期的なものであった。
しかし、全てのことが順調に進んだ訳ではなかった。伝道の疲労を癒す間もなく、6月16日、米国のタラネイガに住まわれたマカルピン師のお母さん(90歳2カ月)の最後を知らせる電話があった。お母さんは2,3週間前までお手伝いさんと同じように部屋の片づけもしておられるほど元気でおられたのに、それは眠るように静かな最後であった。
その冬、徳島に旅し、翌1911年(明治44)4月末、母国アメリカに赴いたマカルピン師は、1913年3月7日、日本に帰るまでアメリカに滞在された。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」