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『その愛のゆえに』
=時々の記=
(181)
2月17日
非常に激しい風と小雪が舞っている山添村です。それにとても寒いです。3日ほど前には暖かい日がありましたので、この寒さには小鳥たちも庭の梅の花も椿の花もみな震えあがっています。北海道では数年に一度の猛吹雪になっているようですね、車が横転しているのがテレビ映し出されていました。北国の方たちのご労苦、忍耐強さが伝わってきます。私たちは比べ物にならないほど平穏に過ごしているのですね。にもかかわらず、不平、不満の多いこと。罪の頭であることに深く反省しています。
早く暖かい春が訪れますようにと祈っています。いよいよ今日からワクチン接種が始まりますね。このことを通してコロナが終息してくれたら何よりですね。薬を開発してくれた方々に感謝と敬意を表します。昨夜は慎重に水道が凍結しないようにお水を出していたのにもかかわらず、また水道の凍結です。未だに一滴も出てきません。仕方なくバケツに蓄えてある水を大切に少しずつ使って何とか朝の食事とお弁当ができました。やれやれというところです。
冬の夜静かにバッハ聴きにけり。(バイオリニストの五嶋みどりさんが独奏しているものです。)
お水取り備えに籠る余寒かな。(近くの方がお水取りの籠りに出かけました)
冬麗の真っ青な天へ昇らばや。
聴きなれしイムジチなる春の曲。(ビバルディの四季です)
青き踏む癒えたる足で一歩ずつ。(大きな手術を受けて14年になります。) 馬場路哉
低気圧さん早く日本列島から抜け出てください。と叫んでいます。
3月1日
3月号の発送を心から感謝いたします。先ほどから目を通していますと希望と喜びがあふれています。イエス様が私たちの罪のために十字架上でのお苦しみを思います時にこれほどの大きな愛はないと確信するのです。神様のご栄光を表すために私たちにできることは隣人にキリストを知らない方たちにキリストの愛を伝えていきたいものです。それは言葉ではなくへりくだっての行いであり、思いであると信じています。
数々の草の芽を踏み歩きけり。
水温むまではと鯉の動かざる。
椿咲き増えて来たりぬ鳥の影。
春暁や山の端強く光初む。
主に出会ふ期待のありて青き踏む。 馬塲路哉
3月4日
畑の草引きをしようと、畑に行くともうフキノトウがあちこちに出ているではありませんか。その横には辺り一面春の野の花“オオイヌノフグリが”青色の小さな花を咲かせているのです。毎日そのあたりを散歩で通っているはずなのに、今日初めて気が付きました。やはり3月の声を聞いて一気に地面を押し上げて外に出てきたのでしょうね。空を見ると青い空がなんだか急に黄色を帯びて見えるのです。黄砂ですかね。
昨夜は久しぶりに童心に帰ってアンデルセン童話を読みました。“醜いアヒルの子”です。童話ですが、年老いた今でも読んでいると人間が優越感を抱いて生きている姿を目の当たりに感じ取ることができました。人は他人といつも比べて生きているように感じられます。自分が誰よりも低いものだと聖書では教えられています。牧師の家で育った私はいつもそのようにして生きようとしてきました。でも、こちらが低く出れば狡猾にやられてしまうことが何度もありました。その時は悔しい思いをしましたが、それでよかったのではと今は振り返っているこの頃です。
昨日からこぶしが花を咲かせ始めました。こぶしの花はまるで造花のように見えるのです。というのも葉っぱが全くついていないのに和紙で作った花びらのように美しく整っているからです。不思議な花です。そして花がすべて消えていった後に葉っぱが茂ってくるのです。春の花々の美しさに毎日生かされている喜びを感じています。
3月10日
昨日から朝だけはストーブを付けていますが、日中はつけずに過ごすことができるようになりました。とてもうれしいのです。服装はまだ真冬のままです。午後になると一枚羽織っているものを減らすことができるようにもなりました。春の夜賛美の歌で帰りまつ。(息子の帰りをまだかと心配しつつも賛美して平安を得ています。)
春暁や清少納言も眺めける。
リハビリやヨモギの土手に休みもし。
口閉づる椿ありけり山の寺。
春疾風里山の竹倒すかに。 馬塲路哉
小学校の卒業式は19日、中学校は16日だそうです。本来ならば在校生、卒業生が一緒になって盛り上げるのですが、コロナ禍で卒業式がリモートでする学校もあるとか。小さな村の学校ですからそういうところはよいのかもしれませんね。新しい道へ進もうとしている子供たちのこれからを祈るものです。
馬場暁美
「上野緑ヶ丘教会会員」
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」