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世田谷通信(211)
猫草
里山も少し手を入れないと、斜面の土が崩れ、枝が歩行の邪魔になり・・と、見る間に荒れる。数年前に腐葉土を作るために落ち葉を入れる「落ち葉だめ」もボロボロに朽ちてしまった。数年で更新するが、最近はその作り方にも工夫している。電動ドリルを使って長い金属のネジで竹と杭を固定していたが、この方法だと改修するときに錆びた釘を引き抜くのが大変。放置しては危ないし、錆びた釘には破傷風菌の危険もある。途中で折れて木材の中に残ることもある。それなら釘を使わずにできないか、というのがきっかけだ。方法は簡単。竹と杭を井桁に組んで、下からシュロ縄で固定するというもの。竹の幅だけ隙間ができるが、中にぎっしり落ち葉を入れたら重なっているのでこぼれることはない。金属を使っていないので廃材の処理が簡単だ。ドリルを使わないので親子でチャレンジもできる。
ササ刈りも1年半ぶりに少し行うことができた。アズマネザサは固くしっかりと成長して、刈るのは普段より力がいる。キンランなど野草周辺だけでもきれいにしておかないと、光も栄養も届かずササばかり優勢になってしまう。ササが茂ると落ち葉が地面に届かず固い土壌になる。春に植物の花が咲かないと昆虫も来ない。昆虫がいないとそれを捕食する野鳥も来ない。野鳥が来ないと・・ドミノ倒しのように悪循環がはじまる。一度途切れた循環を戻すのは大変な労力が必要になる。目立つ野草や大型の昆虫の陰にはもっとたくさんの土壌細菌や微細な生き物、小さな植物がいる。そのピースが失われたら復元できない。どんなバランスで生態系が構成されているのか、人間にはわかっていないことの方が多いからだ。今できることは鎖がきれてしまう前に、細くてもつないでいくこと。何の役にも立たないような地味な植物がそこにあることで、ほかの生き物の住みかとなり、食草となり、水を吸い、土壌を豊かにして環境を守っている。ササも根は残っている。その根が斜面を網の目のように支えている。
刈ったササは斜面の下部に竹串を打ってその間に据えて土留めにする。持ち出さず、足さない。循環の手助けをする。翌日の筋肉痛はこたえるが、自分もまた自然の一部であると思うために、作業を繰り返す。
<いきいき里山ものがたり>
都会の整った公園は多くなりましたが、小鳥や小さな虫たちの姿が消えていく感じがします。ふるさと札幌の公園にはエゾリスが元気に走り回っていると聞き、ほっとしています。名古屋でも郊外には10~15年前までは、甲高い独特の鳴き声のキジの家族を見ましたが、どこかに消えてしまいました。皆さんの「里山ニュース」をお送りください。お待ちしています。
* 春ですね。明るい斜面でイチリンソウが芽を出しました。これからの成長が楽しみです。土筆も顔を出すころですね。
* 寒風ですが澄んだ空気に早咲きのサクラが映えています。公園の様子も、木々の枝に芽が出て淡い紫に変わりました。もう直ぐ桜、そして緑の新芽と共に虫たちも動き始め、池の底にも小さな魚が動いています。春到来ですね。
* ひと足早く春を告げる河津サクラを見ることができました。オオシマ桜はこれからです。皆さんのところは如何ですか。花をつけない木々の枝先にはふっくらした若葉が暖かい陽気の中にありました。
* 紫色の小さな花ですが、空き地や庭先で見かけるカラスノエンドウはよく見るととてもおもしろい植物です。先端の巻きひげは、三方向から固定する優れものです。探してみては如何ですか。小さな動物やウサギの好物でもありますよ。
* 春になると田圃に小型の耕作機が入り始める。それが棚田になる。これは先人たちの苦労の証し、今は後継者のいないこの地や山は荒れ放題になりそうなので心細いです。それでも谷の鶯が囀り始めた。
* 「薹がたつ」とは旬を過ぎてネガティブなイメージがありますが、葉牡丹もフキノトウもなかなか瑞々しくきれいなものです。
* 池にカルガモが訪れました。水際の植物を食べて行ったそうです。緑地は多様な生き物の拠点になっています。
=写真の説明も兼ねています=
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」