[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
B スペインへの途次、ローマを訪れたいとするパウロの希望
・・・15:22~33・・・
「こういうわけで、私はあなた方の所に行くことをたびたび妨げられてきた」(15:22)。
パウロがここで言おうとしていることは、キリストがまだ宣べ伝えられていない所に、福音を宣べ伝えるという開拓伝道の業に関わるあめに、ローマを訪れようとする彼の望みの達成が、たびたび延ばされてきたということである。もちろん、ローマにおいては既に教会があり、福音はそこに伝えられていた。パウロにとって、ローマに伝道することは開拓伝道と呼ばれるものではない。何故ならば、そこには、他の人々によって、すでに土台が築かれていたからである。
「しかし今では、この地方にはもはや働く余地がなく、かつてイスパニヤに赴く場合、あなたがたの所にいくことも、多年、熱望していたので・・・」(15:23)。「この地方にはもはや働く余地がない」とはどういう意味であろうか。ある人たちは「この余地」という語を、ヘブル書12:17(悔い改めの機会)のように「機会」という意味であろうと解釈する。そしてパウロはこのロマ書を書いているコリントの町では、もはや福音を語る機会は持っていない、あるいは、この地方では伝道する機会はもはやないと言っているのだと解する。
しかし、もっと筋の通った解釈は、彼の伝道はこの地方では隅々までなされているので、もはや福音の伝えられていない地域はここにはないと言っているのである。もちろんこのことはパウロの伝道があらゆる町や村にまでなされてという意味ではないであろう。使徒行伝からも解るように、パウロは戦略的に伝道の集中地点、例えば、エペソ、テサロニケ、アテネ、コリントアドを選んでいる。これらの町々において周囲の地域から来た人々はパウロの宣教談を聞いたのである。そしてキリストの福音は間もなくこの地方全体に広まったのである。パウロはこれらの町々のどの一つにも、長期間滞在しなかった。教会を建て、役員と会員が出来ると、彼はそれらの人々にその教会の運営を委ねて、新しい地域へと移って行ったのである。
「熱望している」というのは極めて強い表現である。それはパウロの極めて熱心な願いを意味している。彼はローマのキリスト信者たちに、彼らを訪ねたいという願いを何年にもわたって強く持ち続けていたと告げているのである。ここから私たちはローマの教会がその時すでに建てられてから数年を経ていたことを知るのである。
J・G・ヴォス著、
玉木 鎮訳(日本キリスト改革派教会引退教師)
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」