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鈴木英昭著
(元日本キリスト改革派名古屋教会牧師)
=むさぼり=
第十戒②・神は心を見られる
Ⅰサムエル16:7
会社の重役会の会議は、機密事項であり、知られないはずの事柄がいつとはなしに漏れることがよくあります。閉ざされた扉の中のことが外に現れるという意味で、共通性があります。
このことは例外を見るだけで判断することは不十分であるということです。時には誤った判断をしてしまうこともあります。そのために慎重に判断することが重要で、心にあるものが外に何らかの形で漏れ出てくることにも注意する必要があります。他方、神がなさる判断は常に誤ることはありません。神は人の心を見ておられるからです。サムエルがダビデに油を注ぐように命じられたとき、神は彼に次のように言われたことは有名です。
「人はうわべを見るが、主は心を見る」(Ⅰサムエル16:7、新改訳)。
人は外に現れるものを、表面的に判断したり、厳しく判断したり、あるいは横柄な態度で判断したりすることがあります。そのような裁きに対して、今度は相手から裁きを受けることになります。そのため、主は山上の説教で、「裁くな、裁かれないためである。」(マタイ7:1)と軽率な判断について注意なさいます。
それでも、心にあるものは、ある程度は外に現れます。第十戒では、欲してはならないことを具体例として、まず隣人の家とそこにある物のことが挙げられています。戦争のことを考えると分かるように、隣国の領土を得ようとするために戦争が起こり、現在も繰り返されています。かつての日本がそうでしたし、今のパレスチナ問題にしても、アフリカ諸国の部族間による内戦にしてもその典型を見ています。
戦争によって多くの恐怖と緊張が続き、家族が失われ、多くの富が浪費されます。欲望がこうした罪を生み出しています。
第十戒は隣人の妻を欲してはならないことを命じます。このことは離婚と多く関係があるでしょう。そうはならないにしても、罪として裁かれることはないように思われがちですが、必ずしもそうとは限りません。裁判においても、計画性があることや、殺意があったかどうかは、犯罪の軽重に関係することはよく知られています。例えば、何かの陰謀があることが明らかになったとき、実行されなかったとしても、その内容によって重い裁きを受けることになります。
最後に、心の中は目に現れるとよく言われるように、聖書も、「彼の目は富に飽くことがない」(伝道の書4:8)と述べています。また「人の知恵は顔に光を添える」(伝道の書8:1)とあるように、心が大事であることを教えています。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」