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鈴木英昭著
(元日本キリスト改革派名古屋教会牧師)
=むさぼり=
第十戒③・妬みからの解放
Ⅰテモテ6;6~10
すでに見てきましたように、貪欲や人への妬みは、アダムとエバが堕落して以来、人間の性質として私たちにあります。それは自分の現在に満足しないという形で現れます。カインは自分の献げ物が神に受け入れられなかったことで、弟アベルを妬み、それが弟を殺す罪に至りました。預言者ナタンはダビデの罪を責めた時、多くの羊を持ちながら、隣人の一匹羊を奪う貪欲さに、ダビデは自分には関係がないことと思っていましたが、そうではなく、ダビデ自身の貪欲の罪でした。
聖書は、人が所有することそのものを禁じていません。問題は、使徒パウロが警告していますように、妬みや所有への欲望に危険な性質があるということです。特に所有のための手段となる金銭欲が悪の根(Ⅰテモテ6:10)ですから、注意しなければなりません。
また一見、関係が無いように見えますが、偽預言者や偽教師がその教えを伝えようとするのも、貪欲のために偽りの教えを語っていることを、使徒ペテロは指摘しています。ペテロの第二の手紙2章1節から3節で、彼は「彼らは欲が深く、うそ偽りであなたがたを食い物にする」言います。
イスラエルの民もこの貪欲から完全に逃れることはできませんでした。昔、彼らは奴隷であった国エジプトから主なる神の力によって逃れることができ、荒れ野でマナを食べ、岩から湧き出る水を与えられました。しかし、彼らはエジプトの肉鍋を食べたいと不平を言いました。世と世の欲は強力です。「すべて世にあるもの、肉の欲、目の欲、生活のおごり、御父から出ないで、世から出るからです」(Ⅰヨハネ2:16)とある通りです。アダムとエバの時とは欲望の形は違っていても、悪魔は実質的には同じ方法で、信仰者に不満を抱かせ、罪に陥れます。
この貪欲と妬みに勝つためには、まず十戒の前書きの言葉にあるように、主なる神が罪の奴隷から救い出してくださったことへの感謝、そして、十戒の柵の中にいることが安全であり、かえって自由であることを忘れないことです。
その柵は、他の神々を拝まず(第一戒から第三戒)、安息日に神を礼拝し(第四戒)、権威、命、結婚、所有、真実を重んじる(第五戒)ことが、真の神を信じる信仰者に自由を与え、その反対の道を選ぶとき、再び罪の奴隷となるということを決して忘れないことです。
ですから、神が与えて下さっているものを大事にして生きることが必要です。改善を求めること、進歩を願うこと自体は問題ではありませんが、必要以上に豊かさを求めることは信仰者として警戒する必要があります。この第十戒は自分の家が今の自分にとって最善であり、配偶者が最も適しており、今の仕事が自分の能力を発揮するのに最善なのです。他の人々が持っているものが自分のものよりもよく見えても、神様がいておられる見方は、このように教える見方です。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」