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猫草
外来種がはびこって駆除とか、池の水を全部抜くとか聞くと、なんとなく違和感でむずむずする。そういう場合、外来種イコール悪者のように語られるが、そもそも人間の都合で拡大してしまったものが多い。それを再度、人間の都合で撲滅させるのも勝手な話だなあと思うのだ。もちろん周辺環境への被害や影響が大きく、やむを得ない駆除もあるとは思う。単一の種類で占領されるよりは、多様な複数の色々な環境と生態系があったほうがいいのはわかる。
でも絶対的な悪物はいないはずで、何かが何かの役に立っていて、生き物の世界は食べたり食べられたりしながら、緩やかにつながっているように思う。外来種といっても、その線引きはあいまいで困難だ。明治以降に日本にきたと言っても、もうすでに交雑して帰化しているものだって多い。外国から来たものが対象なのか、日本古来の在来種と言っても、何かのきっかけでそれまで生息していなかったほかの地域に移植したら外来種になってしまうのだし、判断は難しい。
クマゼミの鳴き声を世田谷でも耳にすることが増え、温暖化のせいで北上してきたという説と、街路樹の土の中に幼虫がいてそれが孵化したという説もある。ほかにも栽培品種の種が飛んだ、ペットとして飼っていたのが逃げた、大きくなったから捨てた、あるいは食用で導入したけどうまくいかなかった、ほかの動物の駆除で移入したけど意図しない方向に拡大した、輸入品のコンテナ荷物や船底と一緒にくっついてきた等々・・。外来種が拡大するきっかけは様々だが、やはり人間の都合である場合が多いように思う。
シロツメクサというのがある。春の野原のグランドカバーとして目に優しく、みかけると四葉のクローバーをつい探してしまう、あれだ。あれはその名の通り「詰め草」、かつて外国からガラス製品の輸入の時に詰め物に使われていた草だ。身近な草にもそんな名残がある。
池の底に泥がたまって対流せずヘドロ化したのは、悪臭のもとだし生物が住めなくなる、だからなんとかしなくてはいけない。でもできれば池の水も全部は抜かないで、外来種も全部はやっつけないでほどほどに。池の浚渫は環境をリセットする機会ではあるが、巻き添えで小さな生き物たちが住みかを追われてしまうことにもなる。その場所は外来種込みですでに生態系が成立していたのかもしれない。人間の都合と自然の都合、共生なんて簡単に言えない。
<いきいき里山ものがたり>
* 家族5人それぞれリュックを背負い連休に、近場の川や山歩きをするのが我が家の連休の過ごし方です。準備は行く場所を選ぶことからはじめ、小さい子供の楽しめる程度を基準にしてきました。それに見合った物を各人がリュックに詰めること、主人は天候を調べる係、それぞれマイスコップを持参します。それは、排せつ物の始末のためです。もう一つは、木や花を傷めないことと虫たちは観察するだけです。行きよりも帰りの荷物は軽くすることもあります。もう続いていることなので、心得ていて、それぞれ課題をもって出かけます。一番楽しいことは、家に帰ってからのミニ報告会の時です。私の楽しみはそれを聞くことです。コロナの中でも、楽しみはありますよ。
* 漁師をしていますので、海の上から里山の風景を何時も見て育ってきた者です。漁師にとって森や里山は恵みそのものです。谷川から流れ出る川には、山の恵みが海に注がれ、海藻や海そのものを守り育ててくれるのです。海の豊かさは山の豊かさ、恵みそのものです。災害で土砂は流れ込みますが、それも時がたてば豊かな磯部を作ってくれます。漁協では毎年、農林組合との親睦会を行い交流を深め、感謝のしるしとして寄付する仕来りがあり、これからも続くでしょう。
* 私の住むところは「千枚田」で知られているところで、例年、連休を利用して県外からのオーナーさんや家族で帰省し手入れや田植えを手伝ってくれたのが、このコロナの影響でそれが出来なくなりました。子供たちの「体験農業教室」も中止になり、数アールほどの階段状の棚田の作業は私たち年寄りの作業になってしまいました。見かねた農協の職員さんたちが田植えを手伝ってくれました。ありがたいことです。
* ナツグミが色づきはじめました。甘い香りのスイカズラは香ばかりでなく、花の形は艶やかで魅惑的で、アジサイとはまた違った趣がります。公園で見つけました。
=写真の説明も兼ねています。皆さんの投稿を歓迎いたします=
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」