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鈴木英昭著
(元日本キリスト改革派名古屋教会牧師)
=むさぼり=
第十戒④・宣伝や宝くじ
エペソ5:1~5
今回は第十戒の「むさぼり」に対する戒めとして、宣伝とか宝くじのような具体的なことを、ドウマ教授の指摘を参考にして考えることにします。
宣伝は、古くからあって、中世教会のステンドグラスの中には、教会は支援者たちから資金を出させるために、彼らの信仰の告白を残すために作らせたものもあったようです。
現代の宣伝では、多様化するとともに、今ではテレビのコマーシャルのように、技術的にも高度なものが製作されるようになりました。心理的に研究され、効果のある技法が用いられ、消費者の購買意欲をそそるのにしのぎを削っています。しかし、宣伝にはその業界の倫理規制があって、誇大広告であったり、誤解を与えることや、浪費をもたらすようになるものに対しては、自粛されています。
良い製品を作り出した人がその製品を宣伝するのを、だれも妨げてはなりません。その反対に、自分の欲に負けて、必要でもない物を買わせるような宣伝には、自分の誘惑を治める努力が必要です。
他方、国がスポンサーになって販売する宝くじ、スポーツくじ、東京都が計画しているカジノというようなものを、どのように考えるべきでしょう。運が良ければ大金が手に入るという性質のものです。それらは、自分がする将棋やチェスのようなゲームにかけるようなこととは違って、自分と関係のないゲームを利用して、高額な金額を儲けるというようなものは、この第十戒に反する貪欲の罪と言えます。
オランダでは、スポンサーが出す賞金を目当てにクイズに参加し、失格者が増えることで、賞金も増え最後に優勝者がいないと、そのお金は義援金として施設に寄付されるという番組があるようです。
しかし、反対に挑戦者が最高額の賞金を獲得すると、最終的にはスポンサーの手元には一銭も残らないことも起こるそうです。こういうものも一種のギャンブルです。また、商店のお客を獲得するためにくじをだすことがあります。程度の問題でしょうが商品を売るのが目的でなく、明らかにお客の欲望をそそるためのものは、王道ではありません。長い目で見れば、商店は出来る限り良品を、合理的な価格で継続的に販売することで、顧客の信頼を得ることを目指すべきです。
所有は罪ではありませんが、所有欲は罪です。このエペソ5章5節に、使徒は「貪欲な者、つまり、偶像礼拝者は、キリストと神の国を受け継ぐことはできない」と言います。偶像礼拝者の礼拝が「貪欲」であるのは、神の国、すなわち、神の御支配を信じ、満足することがないというところから来ています。「偶像礼拝の原因は、神の支配に満足しない欲望」から生じることを、使徒パウロは指摘しています。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」