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「山は移り、丘は動いても、わがいつくしみはあなたから移ることなく、平安を与えるわが契約は動くことはない」とあなたをあわれまれる主は言われる。
=イザヤ書54:10=
この御約束は信仰者一人ひとりにとって、何と心強く、慈しみと憐れみ深く、そうして力強いことでしょう。このみ言葉の契約は永遠の神のように変わることなく、動くことなど微塵も存在いたしません。
このみ言葉は、弱く貧しいキリスト者の信仰に希望を与え、重く圧し掛かっている心の重荷を取り去って余りあるものであります。山が移り、丘が動くのを見ることなどあるものではありません。しかし、もしこういうことが起こったとしても、私たちは山よりも確かな拠り所を持っているのであります。神の約束は、山々よりも安全であります。
この御約束を真実であると信じましょう。私たちには、何よりもそれが必要なのです。人生には、若い人も歳を重ねた人も、その人に応じた力は満ちていますが、しかし時に、不安や疑念や恐怖、あるいは耐えられない迫害(差別や偏見やセクハラ)を経験いたします。また、父や母は手に負えない子供のことで嘆くでしょう。自分の義務やこころ至らなかったことに責任を抱くでしょう。
苦難に合う時、この世には神も望みもないかのように、絶望し悲嘆にくれる時もあるでしょう。
しかし、本当に悲しいことは、信仰者として神に招かれて生き、み言葉に教えられ、祈り心を以って歩んできたキリスト者が、この約束への信仰を失うことです。自らを存在に値しない、無力な無価値な者と思い込み、暗闇の中に閉じ籠る信仰の者の姿です。
しかし、自分がどうであれ、神のみ言葉には、イエス・キリストが、その救いのために十字架にお架かり下さった事実の上に今、自分が今生き、あることを思い、再び知らされる時、自由にされ、勝利者として生かされ、生きていることを主にあって誇れる気がいたします。
主イエス・キリストは、立ちなさい!と失望したキリスト者一人ひとりに、このみ言葉の上にあることを確かめなさい!とはげましてくださっています。ただ主イエス・キリストのみを仰ぎ見て生きましょう。
生ける石にて築かれ、み霊の一致によって合わせられ、
預言者と使徒たちの伝承にもといをおき、信仰堅く、主に頼らん。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」