[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
あなたがたは主にお会いすることのできるうちに、主を尋ねよ。
近くおられるうちに呼び求めよ。
=イザヤ55:6=
このイザヤ書を通しての神様のお招きの言葉は、なんと勇気づけられることでしょう。同時に、この招きのお声を聞き過ごし、この世の富や名誉の誘惑や楽しみに心を奪われ閉ざすことの多いことを、思い知らされます。
同時に、神様の愛と忍耐の恵みの時の続く限り、私たちは主にお会いすることは出来ます。キリストによって、神がお開き下さった扉は、すべての者に開かれております。また、誰も神以外、他の者が扉を開けることは出来ませんし、誰もその扉を閉じることも出来ません。主が死と、黄泉の国の扉の鍵を持ち、主のなる神のみが、開き、そして閉じられることを、ここに、すべての者に宣言なさっています。
また、主は扉を閉じる時が来るとも語られました。この警告と招きは何にも勝って大切な事実であると、聖書を通して語っています。
「主にお会いすることのできるうちに」お会いし、お会いいたしましょう。その場所は、地上では教会です。私たちには意思があり、時があり、自由があり、それを持っていることを誇りに思って生きてきました。しかし、神の御招きに与らない限り、誰も自分の罪を認め、悔い改め、告白することは出来ません。反省ではなく、「悔い改め」とは、神様が下さるお導きの実だからです。
人が、天国へ行きたいと願う者は、神様がお招きくださっている時を逃すことなく、受け入れなければなりません。それが、何時、何処であるかは分かりませんが、その機会を提供しているのは、教会の礼拝の時です。教会の扉は何時も開かれています。自由に入り、出ることは出来ます。しかし、そこにとどまり、信仰を頂くために、時を待たなければなりません。それは今であるか、先の先であるかは、私たちには隠されています。その時をお決めになるのは神様です。
ですから希望を持って待つことが出来るのです。
*********
「キリストの香り」 水野源三
朝の霧に包まれて
ひそかに香る野バラのごとく キリストの香りを 香をいつまでも香らせてください
誰もが足を止める 淡紅色の野バラのごとく キリストの香りを 香をいつまでも香らせてください
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」