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問31 聖書には奇跡というしか言いようのない話が沢山出てきますが、クリスチャンはみなああいう話を信じているのですか。また、ああいう話を信じないなら、クリスチャンと言えないのでしょうか。
答・・3・・
ところで、ではこういう問題を踏まえて奇跡と言うものをどう理解するか、またこの奇跡というものが今日のわれわれにどう関りがあるかということが、問われます。
一足飛びのような答えになりますが、聖書は、神がおられることを大前提としています。そして、その神は、人間を創造し、人間に対する全責任者として人間に関わり、人間を神の祝福の中に置くことを願っている超越的で活きた存在であります。その神から見れば、「人間は自立して生きているつもりでいるようではあるが、危うくってしょうがない。戦争はする。嘘はつく。人殺しはする。そうしてやたら死ぬことを怖がっている、自由だと言いながら結局自分で自分をコントロール出来ないでいる。これは何とかしなくてはならない、こういう状態に一度ストップをかけて、新しい状態に変えなくてはならない」というので、神の独り子を人間として、この世の人間の真っただ中に誕生させることとされた。これがクリスマスの出来事です。
超越的なものは超越的なままでは、地上の人間には通じませんから、人間世界の只中にそれとわかる仕方で実現させなくてはならない、と言うので、神の子を人間同様の仕方で人間の間に誕生させられたのが、乙女マリアによるキリストの誕生であったのです。
マリアが「聖霊によって受胎した」というのがこういう事情を記したのでありまして、こういう視点から見れば、奇跡とは、神が人間に関わる際になされる神ならではの必然の行為であって、それを、そのようなこととして信じて受け止めることが出来るかどうか、このあたりが、神の業を神の業として信じることが出来るかどうかという問題になります。
(日本基督教団隠退教師・元中部日本放送「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」