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鈴木英昭著
(元日本キリスト改革派名古屋教会牧師)
主の祈り(文語)
天にまします我らの父よ
願わくは
み名をあがめさせたまえ
み国を来たらせたまえ
み心の天に成る如く地にもなさせたまえ
我らの日用の糧を今日も与えたまえ
我らに罪を犯す者を我らが赦す如く我らの罪をも赦したまえ
我らを試みに遭わせず悪より救い出したまえ
国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり
アーメン
=祈りについて=
祈りについて①・見ておられる父
マタイ6・1~13
大教理問答では十戒によって、人の罪が明らかになります。その罪に対する神の怒りから逃れるために、悔い改めと信仰は必要です。この悔い改めと信仰を与える恵みの外的手段として、御言葉と礼典と祈りの三つが挙げられます。このように祈りは信仰に関係し、178問から扱われ、その中心となる「主の祈り」は最後の186~196問にあります。
十戒と祈りを、このように理解したうえで、主の祈りについて学んでいきます。これは新約聖書には、マタイによる福音書の山上の説教(6:9~13)と、ルカによる福音書では一人の弟子の求めに応えて、祈りの内容をお教えになった部分(11:1~4)にあります。
主が祈りを教えられることになった動機を山上の説教から考えることで、まず祈りについて、主はこの6章に7つの実例を挙げて、信仰について教えておられます。信仰を求めておられる人にとって、信仰とは何かを知るのに役立ち、すでに主イエスを信じておられる信仰者にとっては、信仰を吟味するのに助けになります。
主は、祈りについてお教えになる前に、6章の1~4節で「施し」について語られました。「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい(6:1)。人に自分が評価されることを目的に善行をしないように、ということです。人の益のために善行をすること自体が問題なのではありません。前の5章16節でこう教えておられるからです。
「あなたの光を人々の前に輝かせなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである」。
自分が人に評価されることを願ってする施しは神に認められないために、主はさらにこう言われました。右手をすることを左の手に知らせてはならない」と。右手も左手も自分の同じ体ですから、知ることになりますが、主は人に知らせることを厳しく禁じられました。自分は人にこれだけのことをしたことを、自分にも知らせるなということは、言い換えると自分のした施しを「忘れなさい」ということになります。自分が親に、兄弟に、子供たちに、あるいは他の人にした施しや親切を忘れなさいという命令です。
なぜなら、「隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる」(6:4)からであって、あなたたちはそれ信じなさい。なぜなら、それが信仰だからだ、と言われたことになります。祈りも人に聞かせるためのものではないので、人からの賞賛のための言葉使いや内容であってはならないのです。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」