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お久しぶりです。・・・今までを振り返って・・・。
「ジャーナル友の皆様には如何お過ごしですか。毎日、うだるような暑さです。主人はクーラーが、嫌いで、クーラーのリモコンの温度をすごく、高くしてしまいます。
しかし、思い出しました。
ITPで、緊急入院した時は、9月でした。同室の人は、血液内科なので、抗がん剤をしている方が多く、体調が悪くてクーラーの風で咳き込まれ、4人部屋で、いつも設定温度を29度にしてしまいます。私は、初めて輸血を一晩中していたので、身体があつくなって、シーツが汗で濡れていました。夜は、窓も閉め切りますので、今晩が峠と言われていても、そんな事より、暑くてたまりませんでした。
家は、冷蔵庫で冷やした水をベランダに打ち水して、窓を開け扇風機をすると昔、蚊帳の中で寝ていた頃を思い出しました。
ベッドの横に、発砲スチロールの箱に交換用の保冷材と水筒に、冷凍庫で冷やしてシャーベットのようになったお茶の氷を冷やしてあります。寝たきりの時は、喉が渇いても、それを人に伝えられなかったので、そのことを考えると、今は、暑くても有り難く感じます。入院中は2ヶ月、シャワーもお風呂も入れなかったので、シャワーが好きな私でしたが、お風呂が好きになりました。それでも、今時の病院は、毎日身体を拭いてくださり、1週間に1度、ベッドで、シャンプーしてくださり、感謝でした。退院前には、シャワーで、身体を流していただきました。どん底を経験しない時は、不満ばかりの生活でしてが、ICUで、心電図を24時間つけ、人工透析も24時間、栄養チューブも点滴も尿管も24時間。1ヶ月、意識もなく生きていました。
でも、耳は聞こえていて、頭は考えたりしていたのです。床ずれが出来ないように、体位をかえてもらわなければいけないほど、危篤の状態で、考えていたのは、喉が乾いたから、あびるほど冷たいお茶が飲みたいということでした。このまま、命つきたら、のどが渇いて、未練でさまよいそうで。
1ヶ月後、奇跡的に意識がもどりました。しかし、栄養チューブで、1ヶ月で筋力は、15キロ落ち、水さえ飲み込むことが出来なくなっていたのです。
声も出なくて、管で生きているだけです。そこから、リハビリテーション。指を動かす練習。とろみのついたお茶を飲みこむ練習や声を出す練習。また管を取るためには、オムツにおしっこをする練習、足の筋力をつけるためのリハビリを、毎日。それも、4人部屋でーカーテンの中で。90歳の同室の方に、本当に助けていただきました。医療には、本当に多くの人が働いておられます。そんなお世話になった方に、感謝の気持ちを伝えるすべもなかったのです。ひどい、不眠で眠剤なしでは、24時間眠っていないことも、伝えるすべがなかったのです。だから、折り紙を折ろうとしても、半分にも折ることが出来なくなっていたのです。薬害も疑って、服用している薬は安全なものにかえてくださいました。
その2ヶ月の間、24時間、辛かった。だから、消灯で、暗くなっても、24時間、折っていたら、だんだん、指が動くようになってきたのです。そんな私の折った折紙を、すごく喜ばれました。声が出るまで、1年以上。奇跡と言われますが、心臓の値も、正常の10倍だったそうで、まわりに水がたまって、心音も聞こえなかったそうです。不思議なことに、利尿剤なしに、おしっこに出て、こんな状態で、食べれるはずはないのに、食べれて、考えられないと驚かれました。
転院して、造影剤で心臓のカテーテル治療をするために、調べていただいたときには、血管は、正常で、検査員の人がびっくりしておられました。そんな状態から、今は、家で、自分でご飯が食べられ、トイレに行け、お風呂に入れいれます。そして、今は、安定剤含め、身体から抜けたようで、何も服用なしで、1日、3時間は、熟睡出来るようになりました。
しゃべるようになりました。今は、自転車で移動できるようになりました。難病は、治らない病気で、いつ再発するかはわからないですが、お祈りだけでは治りません。筋力をつけるため、車椅子→手押し車→杖→自転車と散歩をしました。今は、血糖値を下げるために、研究中です。透析も、やめることができ、今は、インシュリンをやめるために、研究しています。
その体験を発信することで、このコロナの時期を前を向いて歩ける人が、増えてくれたら、私が生き残った意味があるのかもしれないと思っています。自分のホームページで海外のファンも増えて、翻訳しても、読んでくださる人が、1日、2000人の時もあります。
たぶん、「つのぶえジャーナル」に書かせていただいた時からの人も読んでくださっているようです。
「沙耶香のつぶやき」
毎日の暑さで家族全員、ああしんどいの大合唱です。それでもお母さんはお料理、お洗濯、お掃除、そしてお買い物をこなしているのには、おかあさんありがとう!!しかありません。
イチジクの美味しい季節よ!と言って冷やしたイチジクを2つくれました。その冷たさに歯にキュンときました。お母さんの愛情こもったイチジクアイスでした。
夜の8時ごろ救急車のサイレンの音がしたのでお母さんが外に出たら、隊員の方が高齢の男性を搬送するところでした。ご近所のお元気な方で、毎日朝晩散歩されている方でした。躓いて倒れていたのを通りかかった人が連絡したようでした。驚きました。
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中学の個人懇談では娘の甘えん坊が廊下で会う先生達に指摘され笑わせて頂きました。おしまいにしたスクールカウンセラーさんから呼び出しされたので、仕方なく個人懇談後に行きました。「毎日送っていらっしゃること、たまにぬいぐるみと一緒に来ていることもみんな見ていて知っていますよ」と言われ、また笑いました。「いいのです。娘は気にせずにしていますし、私と一緒にいることが幸せと楽しみですから」と言ってきました。それに物事に対する自分の意見が持てる子なので、心配していません。
担任の先生から「独特の感性をお持ちで、ひと言日記にあの教室はミントチョコみたいで美味しそうだと書いてありました」とおっしゃっていました。私は感受性が高い子なのですね、嬉しいですと言ってきました。少し親ばかしてみました。 三重県 K・Jさん
<この掲載の原稿の時にお送りし、全て了解を得ております>編集子
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」