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立って、父のところへ帰って、こう言おう、父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。
=ルカ15:18=
一度信仰の恵みに与り、その喜びを知った者は、不思議にも、ひと時、神から離れ去った者の多くは、間違っていたことを悟って、もう一度家に帰りたいと切に願うと言われています。しかし、それを妨げるいろいろの誘惑が立ちはだかってくるのも事実です。ひと時の平安、富や地位、また肉の誘惑など、また信仰から引き離そうとするサタン(悪霊)、そうしたものが、この世は信仰・魂を身体から引き離し、罪の甘美に縛りつけます。心は知らず知らずの内に罪へと引きずり込まれるのです。
私たちがこの牢獄にいることに気付かずに座り続けているその時に、もし、この忠告を再び聞くなら、この忠告を私たちの信仰に、生活に取り戻したいと思えたら、何と幸いなことでしょう。
この聖句の個所は、有名な「放蕩息子のたとえ」のところのものですが、この息子は幸いにも、本当に幸いにも、自分の犯した罪を認め、告白しようと決心いたしました。そうすることで、かの息子は再び救われました。私たちが、日々の罪に気づかない信仰の怠惰、心の放蕩に陥っているとしたら、まずは正直になり、素直に自分の今を告白し、神の許しと救いの恵みを再びいただくために、信仰者として生きるために御もとに立ち返りましょう。
しかしこの道は狭く、そうして険しい道でもあります。むしろ、最初に教会の門をくぐった求道の時、み言葉に接した感謝、心からうたった讃美の時の信仰への道より厳しいものと覚悟しなければなりません。多くの捨て去るものを身に着け、み言葉の知識を持っていると思い込み、信仰者であるかのように振る舞っていたものを捨て去らなければならないでしょう。そのためには、今一度、自分は何者なのかを、自ら神様のみ前で問い直さなければないからです。神様から離れて行った原因、誘いの正体を見極め、信仰者としての人生の暗い闇に陥っている正体を見極めなければなりません。
神様はその時を待っておられます。「わたしは来るものを決して拒みはしない」と主は言われます。
主の群れの羊とわれはなりたし、
その群れは守られて草食む、
主をほめつつ天の牧場にあそぶ群れよ、
罪の汚れのおそれなく、
通い出ずることするなからん。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」