[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
第100課 パウロも宣教活動とその計画
B スペインへの途次、ローマを訪れたいとするパウロの希望
・・・15:22~33・・・
「そこでわたしは、この仕事を済ませて彼らにこの実を手渡した後、あなたがたの所をとおって、イスパニヤに行こうと思う」(15:28)。
パウロは「この実をエルサレムにいるキリスト者たちに手渡した後」と言っている。「手渡す」と訳されている語は、シール、すなわち「封印する」と言う意味を持つ語である。ここでは確実に安全に手渡すという意味である。このお金を取り扱い、それを手渡すということは重大な責任なのである。パウロはその仕事を真剣に遂行しようとしているのである。
私たちはパウロがこのお金をエルサレム教会の正当な役員に確実に手渡したとき、初めて彼は安堵すると思うのである。
パウロは福音の宣教ということを重大なことと考えていたのみでなく、教会のお金を扱うということにも重大な関心を払っていたのである。霊的なことのみでなく、物質的なことでも、神に属することには、このように重大な関心が払わなければならないのだ。
教会の経済的な問題について不注意、ずさんということは許されないのである。教会の経済や資産を預かっている役員たちが、もし不注意なずさんな仕方で事に当たっているならば、神が求めておられる義務を忠実に果たしているとは言えないのである。
神の忠実な僕は、パウロのように細心の注意を払い、責任をもって行動しなければならない。偉大な使徒であり、かつてはガマリエル門下の逸材であったパウロは、会計的な仕事を見縊ることは決してなかったのである。
この重大な仕事を終えた後、パウロはイスパニヤへの旅の途中にローマを訪れるつもりでいるのである。
「そしてあなたがたの所に行く時には、キリストの満ちあふれる祝福をもって行くことと、信じている」(15:29)。
ロマ書の初めの個所(1:11~12)において、パウロはローマにいる信者たちに会って、霊的な賜物を分かち合いまた彼らの相互の信仰によって励まされたいという希望を表明している。そして今やここの末尾に於いては、彼が彼らを訪れる時、キリストより限りない祝福をもって行くという確信を披露している。
パウロは今まで伝道してきた多くの地に於いて、そのような豊かな祝福を経験しており、従って未来においても、そのような祝福を主が必ず与えて下さる ことを確信しているのである。キリストの福音は祝福の源泉である。ローマを訪れるパウロの目的の一つは福音伝道の促進であるから、彼は確信をもって、彼の訪問と共に溢れる恵みが伴うことを述べているのである。
J・G・ヴォス著、
玉木 鎮訳(日本キリスト改革派教会引退教師)
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」