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「キリスト教百話」
問31 聖書には奇跡というしか言いようのない話が沢山出てきますが、クリスチャンはみなああいう話を信じているのですか。また、ああいう話を信じないなら、クリスチャンと言えないのでしょうか。
答・・4・・
「目には目、歯には歯」という言葉があります。「同刑復讐の原則」といったらよいのでしょうか、「やっつけられたらその分やり返す」ということで、一発ぶん殴られたら何度も殴り返したくなるのに対して、「一発だけならよろしい」と言うのは、ある意味では公正な原則と言えましょう。
しかし、現代では私的な報復は禁じられていました。公的な裁判によって処罰が講じられています。とは言え、そういう判決では収まらない人間の心情というものがあるでしょう。もし核ミサイルが打ち込まれたら、こちらも直ちに応戦して相手をやっつけなくてならない、という心情に駆られるのは、容易に納得できることです。
ところが、キリストは「あなたがたも聞いている通り、『目には目を、歯には歯を』命じられている。しかし、わたしはあなたがたに言っておく、悪人に手向かってはならない。誰かがあなたの右の頬を打つなら、左の頬も向けなさい。あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着も取らせなさい。」と言い、さらに「あなたがたも聞いている通り『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく、敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者に雨を降らせてくださるからである。」と言われました(マタイ5:38以下)。
これを聞いて、「そうだ、そうしよう」と思う人がどれだけいるでしょうか。自分の事を考えたら、先ずは「そんなことが出来るか」と思うのではないでしょうか。また、「そんなことをしていたら、悪い奴をいい気にさせ、増長させるだけで、世の中にしめしがつかない。」と思われる方が圧倒的に多いのではないでしょうか。正直言って、私も出来そうにありません。やられたら、負けてなるものかという思いがこみ上げてきそうです。
(日本基督教団隠退教師・元中部日本放送「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」