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鈴木英昭著
(元日本キリスト改革派名古屋教会牧師)
主の祈り(文語)
天にまします我らの父よ
願わくはみ名をあがめさせたまえ
み国を来たらせたまえ
み心の天に成る如く地にもなさせたまえ
我らの日用の糧を今日も与えたまえ
我らに罪を犯す者を我らが赦す如く我らの罪をも赦したまえ
我らを試みに遭わせず悪より救い出したまえ
国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり
アーメン
=祈りについて=
祈りについて③・願う前からご存知
マタイ6・8、32~34
主は、主の祈りをお教えになる前に、弟子たちにこう言われました。「あなたがたの父は願う前から、あなたがたに必要なものをご存知なのだ」(マタイ6:8)と。
この言葉の意味を心に留めておくことで、私たちは祈ることの喜びと熱心へと励まされます。しかし、「天の父が私たちの願いを、祈る以前からご存知であるなら、祈る必要があるのだろうか」というように思う人がいるかもしれません。そうであれば、祈りへの姿勢は消極的になります。
さらに「どんなに祈っても、どのようになるかは祈る前から決まっているのであるなら、祈る必要がないのではないか」というようにさえなるもしれません。
しかし、主は祈りの内容を教えてくださる前に、このようにおっしゃったということは、父は既に私たちの願いをご存知なのだから、熱心に祈る必要はないというような消極的な意味でおっしゃったはずでは決してありません。むしろ祈りの励ましのために言われたはずです。それでは、このように言われたことの意味は何なのでしょう。
それは、ヘルムート・テイーリッケという牧師が、その著書「主の祈り」の中で語っていますように、父なる神は、私たちが願う以前から、私たちの願いを私たち自身が知っている以上によく知っていて下さるという事実です。私たちが自分のために願い、他の人のために祈る時、その願いよりも、それ以上に必要なことを父なる神は知っておられ、それに基づいて答えて下さることがあるということです。
例えば、使徒パウロとシラスは、第二回伝道旅行のなかで、リストラからテモテも加えて、ビティニア州に入ろうと願ったが入れないでトロアスに下り、そこからマケドニアへ渡って行くことになりました(使徒16:10)。それがヨーロッパ伝道、つまり世界伝道への突破口となりました。
パウロは小アジアの伝道を願っていましたが、天の父のご計画は違っていたのです。私たちはよく検診によって、自分の知らなかった病が明らかになります。医者はその検診の結果と、私たちへの問診によって、どういう問題や病があるかを明らかにしれくれます。それは、医者の方が私たちのことを、私たちよりもよく知っているために出来ることです。神もそうです。
私たちは無意識のうちに自分が自分の事を一番よく知っていると思っています。そのため、祈ったとおりにならないと、祈りが聞かれなかったと思ってしまいます。しかし、御父の答えは私たちの願いのようにならないことがあっても奇異に感じる必要はありません。御父の方が私たちのことを良く知っていて下さるからです。その御父の御心をよりよく知るために聖書があり、聖書を理解するのに聖霊のとりなしの助けを受けていることは非常に幸いなことです(ローマ8:26)。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」