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猫草
ほんの少しの違いが、大きな印象の差になることがあるのはどうしてだろう、とよく思う。自分ではできているつもりでも、予想通りに出来ていなかったり。そういうときに残念だなという気持ちと、上手な人はどこが違うのだろう、と不思議に思う。例えば、料理番組をみているといかにも簡単に手際よく、おいしいものができるように錯覚する。でも同じように再現できない。仕上がりが思っていたのと違う。それはそうだ、見ただけで誰もが同じようにできたらプロの料理人は失業してしまう。
盛り付ける手元をよく見ていると、料理の先生はちょっと食材の角度を変え、ほんの一瞬皿を回す。コツ、というわずかな違いが一皿を生き生きと見せる。
バスの中で若い女性がヘアゴムで髪を一つにまとめていた。単に一つにつめるのではなく、サイドの髪を少し指先で引き出し、結んだ位置をちょっと下にした。その微調整で急におしゃれになったので、なるほどと感心した。
首元にさらりと巻いたストールひとつで、いかにもセンスがいいと思わせる人もいる。きっと頭の中に「これはこうあるべき」という理想形がきちんと、あるいは無意識にイメージできているのだろうと思う。それは黄金比だったり白銀比だったり、ある程度説明でき、数値化できるものかもしれない。
思い返せば、小学校の書道の時間。先生が「横に一本、線を書いてください。」というのでみんな半紙に「一」と書いた。その「一」はみんな違っていて、整ってきれいな子も、やたら太い子も、弱々しい子も、真っ直ぐも、ぐんにゃりもいて。文字ですらない、横棒でみんなの実力が出てしまったのだ。
それも個性と言えばそうなのだし、今更悔やんでも一朝一夕には身につかない。今からでも少し気を付けて、せめて周囲に見苦しく思われないようにできればと思う。
<いきいき里山ものがたり>
* わが家の「いきいき里山ものがたり」は都心の15階建てのマンションのベランダです。洗濯物は乾燥機にしていますので、ベランダは家内の楽しみにしている小さなガーデニング?の場所です。季節の鉢植えに朝晩水やりと剪定?を楽しんでいます。
今はどこかに行ってしまったトンボも来てくれました。孫が秋の虫を敬老の日にプレゼントしてくれましたので、虫の声を楽しみにしています。ベランダの小さな秋のお便りです。 神奈川県 A・Lさん
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」