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問31 聖書には奇跡というしか言いようのない話が沢山出てきますが、クリスチャンはみなああいう話を信じているのですか。また、ああいう話を信じないなら、クリスチャンと言えないのでしょうか。
答・・6・・
クリスチャン作家の三浦綾子の作品「石狩峠」に出てくる主人公である鉄道車掌は、連結器が外れて列車が坂を下りかけた時、とっさに飛び降りて、自分の身体を車輪止めにしたことによって、事故を未然に防ぎ、乗客の命を救いました。事実に基づく小説です。
青森と函館が連絡船によって往き来されていた時、台風で「洞爺丸」という連絡船は沈没しました。その時、乗客の避難を助けた一人の宣教師は、救命着を持っていない人を助けるために、自分の身に着けていた救命着をその人に付けさせて助け、自分は水中に没した、という事実が伝えられています。
アウシュビッツで、ガスかまどに入れられることになっていたユダヤ人一家を救うために、一人の神父が身代わりになったことは、よく知られています。
生まれつき見えず、聞こえず、ものいうことも出来なかっいた子供ヘレン・ケラーが世界に希望を与える人となったのは、サリバン女史の献身的な教育によるものであったことも、知られています。
これらの人に、こういうことができたのは、生まれつき優れた資質を与えら
れていたからであったというより、これらの人は、愛されるという体験を持っていたからではないかと思います。
「人を愛しなさい」と言われ、それに同意しても、愛されることがどういうことか知っていない人が、人を愛することはできません。愛された経験以上に愛することは出来ないのです。
クリスチャンだけが以上のように生きられるとは限らないでしょうが、キリストの愛に触れた人が、それ以前にはできなかったことをするようになるのは、愛が生み出す奇跡であると言えます。
キリストは、「一粒の麦が地に落ちて死ななければただ一粒のままである。しかし、死ねば多くの実を結ぶ」と言われました。神の愛は、キリストをこの世に遣わし、キリストによって与えられた愛は、その後、多くの実を結びました。これからも結ぶに違いありません。
五つのパンで5千人以上が食べた奇跡は、キリストが死なれたことによって起こっているのです。
キリストに出会い、キリストの愛に生かされるなら、そのことが奇跡であり、また、そこから奇跡が起こることが信じられるからであります。こういう消息に触れていただきたいと願っています。
(完)
(日本基督教団隠退教師・元中部日本放送「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」