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水垣 清著
(元中津川教会牧師・元「キリストへの時間」ラジオ説教者)
18 バラ博士の最期とマカルピン・・・3・・・
この年、日本基督教会では創立50年記念集会を10月9日神戸市下山手3丁目の神港教会(現日本キリスト改革派神港教会)で開催した。第35回の日本基督教会の決議事項として「内外協力伝道」のため、日本基督教会伝道局と関係諸ミッションの伝道機関を統一して、「協力伝道局」を作ろうというので、関係ミッションと委員を選んで協議することになった。
南長老教会ミッションのマカルピン師は、これに対して強く疑問を感じられた。伝道地における宣教師の自由な働きを制限し、財政などの指導も合同で委員会によって完全に統制をしょうとする協力案には安心できなかったのである。
すでに1909年(明治42)の日本基督教会第23回大会で、ミッションの自主的立場を保持するために、ダッチ リフォームド ミッションと南長老ミッションは、その大会が下した定義の協力関係とは別に「申し合わせ規約」を定めて、それに従ってきた。
日本基督教会の主流派の人々はミッションの伝道事業も、全て同教会の主体性の下に統一しようとする強い考えがあった。そして、その指導下に入ったのは北長老教会ミッションとジャーマン リフォームド ミッションであった。南長老ミッションの伝道への熱心と成果は、強い改革派信仰と長老政治の長所を生かして、聖書的に行動することにあった。従って、この統制的協力案に加わらず「申し合わせ規約」という点にとどまり一線を劃したマカルピン師の姿勢は、やがてこの日本基督教会の協力伝道局設置の決議案も進展を見ずに消え去ってしまった。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」