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第102課 結びの言葉:個人的挨拶
=16:1~27=
A ケンクレヤにある教会の執事フイベを紹介する。16:1、2・・2・・
「ケンクレヤにある教会の執事、わたしたちの姉妹フイベを、あなたがたに紹介する」。(16:1)
ケンクレアというのはギリシャのコリントにある二つの港のうちの一つである。コリントの町から約15キロの所にある。パウロがここを訪れたことがあるということは使徒行伝18:18から分かることであるある。フイベが正規の執事であったかどうかは新約聖書学者たちの論が分かれるところである。ある人たちは男女ともに執事として按手されていたと考えるし、他の人たちはフイベのような婦人の執事は男子の執事とは異なる地位であったと考える。
ホッジは「使徒時代の教会においては、長老に値するような婦人は特に選ばれて、女性の貧しい人びとや病人たちを見舞い慰めることに携わっていたと考えられる」と述べている。Ⅰテモテ3:11の「婦人執事」({執事の妻})とも訳す)というのは、このことを指したのである。
とにかく、フイベはケンクレヤの教会の働き人であった。正規の執事であったかどうかはあまり問題ではない。明らかに彼女はローマに行こうとしていた。そして確かにパウロがローマに行くよりも先に、そこへ行くことになっていた。そこでパウロはこの手紙を書く機会を利用して彼女をローマの教会に紹介し推薦したのである。
「どうか、聖徒たるにふさわしく、主にあって彼女を迎え、そして、彼女があなたがたにしてもらいたいことがあれば、何事でも助けてあげてほしい。彼女は多くの人の援助者であり、またわたし自身の援助者でもあった」(16:2)。
パウロはローマの人々に、フイベを「主にあって」、すなわち、彼らがキリスト者としてフイベを主にある友人として歓迎することを求めたのである。彼らがフイベのような人物を友情と親切をもって迎えることは、彼らのキリスト者としての義務なのである。パウロはローマの人々にフイベを主にある友人として、また聖徒として迎えてくれるように求める時、彼はローマの人々が、そのようにしてくれることに十分な信仰を持っていることに確信を持っていることを示しているのである。
J・G・ヴォス著、
玉木 鎮訳(日本キリスト改革派教会引退教師)
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」