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「今月のことば」
すると、パリサイ人や律法学者たちがつぶやいて、「この人は罪人たちを迎えて一緒に食事をしている」と言った。
=ルカ15:2=
まったく奇妙なことに、イエス様の敵がイエス様を非難したものの一つは真実でありました。主イエスは罪人を受け入れ、罪人らと共に食事をとられたのです。パリサイ人たちにとって、このことを黙っていることは不可能でした。
彼らは善人の中の最善の人が来られた時に、自分らの中に入るだろうと確信していました。しかし、全然反対でした。主イエスはパリサイ人たちが最も軽蔑していた人々と共にいることを好まれたのです。結果は、自分たちが最も良い人々だと考えていた者たちが、イエス様の最も激しい反対者となり、遂に主イエスを殺しました。
イエス様が取税人や罪人たちに背を向けてさえいたならば、主イエスの望まれるままに何を言われようと、なさろうと、生きられようと、かまわなかったことでしょう。しかし、それは主イエスご自身の信念・目的・使命を破ることであり、到底なし得ないことでありました。代わりに、主イエスは罪人の友として、命を捧げられたのたのです。イエス様にとっては、救うことのできる罪人を捨て去ることは、例えば親がその愛する子供の手を振り払って捨て去り、死に追いやる以上に不可能なことなのでした。
人間が、自分の目でまことの罪人であると思う時、それは大きな幸運であります。もしわたしたちが罪人でなければ、救い主の必要はどこにありましょう。もしキリスト者の進歩が、自分の罪を見ることがだんだんと少なくなることになれば、それはパリサイ人と同じになるのです。
大いなる罪人は、大いなる救い主を必要とするのです。
十字架の教えこそ、永遠の知恵、主の死によりて、わが死は贖わる。
コロナ禍は、全世界に、全国に拡大し、多くの人の命がそのために失われました。この猛威に人々は立ち向かっています。欠くことのできない仕事に従事されている人々、それは医療従事者ばかりではありません。公共の電気、ガス、水道、家庭などから出されるごみの収集の人々、通勤や通学の足である交通機関、また、教育や保育に関わる人々、そうして今、日常生活に欠かせないコンビニやスーパーマーケットでお働きの方々。農業や漁業関係者、行政や政治に関わっているいる人々、警察や消防の方々など、数え上げれば際限がありません。その一つ一つの職業は欠かせない(エッセンシャルワーカー)と信じています。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」