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第102課 結びの言葉:個人的挨拶
=16:1~27=
A ケンクレヤにある教会の執事フイベを紹介する。16:1、2・・2・・
「ケンクレヤにある教会の執事、わたしたちの姉妹フイベを、あなたがたに紹介する」。(16:1)
ここの個所だけでは、フイベのローマ到着の期待も、どのような用向きで彼女がローマへ行くのかもよくわからない。しかし、ある用向きがあったことは明らかである。というのは、パウロが彼女のローマ訪問につい述べて、ローマの人々に必要に応じて彼女を助けてやってほしい求めているからである。
もしフイベが何の目的でローマに行くのかを知ることが出来れば興味深いと思われる。しかし、ローマを訪れる外国人たちはローマという異国の都であるこの大都市の中で迷ったり困ったりすることがないように、かなりの助けが誰かによって与えられることは必要であったと考えられる。
フイベは恐らく、地方の教会の助けを必要とするある時別な使命を受けて、教会から派遣されたと考えられる。宣教師として働いたことのある人々は、地方の人々の時機に適した助けが如何に必要かを良くい知っているのである。
パウロはフイベが多くの人々を助けた人であると述べている。彼女はコリントの港であるケンクレヤに住んでいたので、恐らくそこで下船してその地を初めて踏む人々を助けることが彼女の使命であったのだろう。このようにして彼女は彼らを彼女の教会の福音宣教に接するように導いたのだろう。フイベによって援助と助けを得た多くのキリスト信者の乗船者や下船の者もあったと思われる。聖書の中にそれらの記録がないので、彼女の働きの性質について、正確に知ることは出来ない。しかし、彼女の働きがそうした価値のある有益なものであったことは確かである。
「また私自身をも助けてくれた人です」(16:2B)。
フイベがどの様にしてパウロを助けたのであろうかと疑問を感じる人もあろう。しかしパウロは丁寧に彼女の助けに感謝を表明しているのである。フイベのような人々は現に今でも宣教師者の働きを円滑に効果的にするものであり、彼らの良き行いは神の御名を現わすのである。キリスト教を古代世界において盛んならしめたのは、パウロの様な使徒やステパノのようか殉教者たちだけではなかった。必要な時に喜んで助力をかってでたフイベの様な謙遜な働き人たちもまた大きな力となったのである。そして現今においてもキリスト教を前進させるものは、宣教師や教師たちのみでなく、必要な時に進んで助けを提供する平信徒の人たちの集団なのである。
J・G・ヴォス著、
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」