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バラ・マカルピン 日本伝道百年史
水垣 清著
(元中津川教会牧師・元「キリストへの時間」ラジオ説教者)
19 南長老教会ミッションの最盛期・・・2・・・
1923年(大正12)9月1日午前11時58分、未曽有の東京大地震の発生によって、横浜海岸教会は倒壊しバラ記念会堂も、全て灰儘に帰してしまった。またバラ先生の居住された地も地すべりのため破壊されてしまった。ちょうどその前日の8月31日、マカルピン師は第5女のベントン・マカルピン嬢が軽井沢で同じ南長老教会の宣教師として中国に伝道していたE・H・ハミルトン氏と結婚するので、その式典に出席しておられた。ベントンさんは1か年間、南長老教会の短期間宣教師として父君のマカルピン師の下で須崎地方に伝道奉仕をされ、結婚によって任を解かれたのである。
1924年(大正13)、長い間の宣教師の奉仕と緊張にマカルピン夫人は健康を害し、身体に痛みを感じ、医師もその原因を確かめることができず、これと言う治療法もなかった。しかし夫人は不平も言わず、時々襲う痛みに教会のオルガン演奏や幼稚園への奉仕を休むだけで、家庭で婦人方や少女たちのために、いろいろなクラスを受持って伝道への奉仕を続けられた。
その7月、6女のグレイスさんの家族の招きで中国の上海に旅行されたが、そこで、ひどい発作に襲われて倒れ、同地で9月22日手術し、ようやく10月7日、長崎に戻り、そこで4女のアンナさん一家に歓迎されて留まり、その日はマカルピン師夫妻の結婚37周年のため記念の集いを楽しまれた。しかし、その翌年(1925)も夫人の健康はすぐれず、気候の良い朝鮮に療養のため赴くことになった。
6月、最後の帰米休暇を得て、日本を出発された。翌昭和3年6月に帰任し豊橋に赴任された。また、この年、息子のJ・A・マカルピン氏がデビットソン大学をめでたく卒業された。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」