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第103課 結びの言葉:個人的挨拶
=16:1~27=
B ローマの多くのキリスト信者への挨拶
=16:3~6=
3~6節において、パウロは26名ほどの人々の名前を挙げて挨拶を送っている。私たちはここでパウロの友情・細やかな愛情の息遣いを脈々と感じるのである。パウロ自身は一度もローマへ行ったことはないけれども、当時、ローマにいた26名以上の人々を名前によって知っていたのである。多分、それらの人々の中にはローマ以外の地において個人的に会ったことのある人々もいたであろう。その他の人々は通信によって知り合った人々であろう。
しかし、いずれにしてもパウロは詳細をも付して挨拶を送っていることから見て、個人的な知己の間柄であったと考えられる。
パウロはローマの町だけで、これだけの多くの人々を知っていたのであるから、ローマ帝国全体では、どれだけ多くの友人を持っていたかと考えられる。この暖かい友情を見れば、パウロは学者たちが想像しているパウロ像とはいかに違った人柄であったが分かるのである。
すなわり、パウロを学問的な論争と紙を剥ぐような議論にのみ興味を示すような学者であるとする彼らの想像は、如何に真実のパウロとはちがったものであろうか。箴言に次のような言葉がある。「友をもつ人は、自らも友らしくなければならない」(箴言18:24・意訳)。
パウロがもつ多くの友人たちは、パウロが友情に満ちた人がらであったことを証ししているのである。
これこそキリスト教的友情であった。彼らはキリストにあるパウロの友人たちであった。パウロは彼らを主にあって友人・同労者と認めている。彼らがキリストに対して持っている関係は、パウロにとって、彼らは他のいかなる社会的関係よりも重要であった。現代の私たちも、パウロのように聖徒の友情を養い、また評価しなくてはならない。
J・G・ヴォス著
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」