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「いのり」
母の想い出は、一人っ子の私が寝付くまで、子守唄を唄ったり、同じ本を毎日毎日読んでくれたことです。今はもうその母の年齢をはるかに超えてしまいました。私も娘にそうしてきました。その娘も子供たちに読み聞かせをして育てていたようです。
何も娯楽のない時代、激しい戦争の中にありましたが淋しがらないように育ててくれた想い出は90を超えた今も心に残っています。このように想い出をお手紙に書けるのも、本好きに育ててくれた母のお陰です。戦争は怖かったですが、不思議と日の丸を付けた飛行機を見て、何だか遠くにはおとぎ話の国があるように想像していた記憶があります。
帰り道、大声で学校で教えていただいた国民唱歌を唄いながら帰った想い出もあります。つのぶえジャーナル3月号の『いのり』は、うれしい内容でした。ありがたく思い、お便りさせていただきました。・・・・。(岐阜県にお住いのH・Eさんからの長いお便りの一コマです。編集子)
<もうお一人のお便りをご紹介いたします>
父は満州で戦死し母は嫁ぎ先で2人の子供を育てていました。狭い畑で何かを植えていたようですが覚えていません。私は長男でしたが母の手伝いは熱心ではありませんがしていました。友だちの家には真空管のラジオがあり、「鐘の鳴る丘」の放送などや川田正子さんの童謡を聞きたくて遊びに行ったものです。母は親戚の家の女中さんとしても働き、食事を貰って帰ってきていました。私は何とか中学を卒業して東京の新宿のお寿司屋さんで働くようになりました。街の薄明りの中に浮浪児が固まって虱潰しをしたりしながら寝ていました。その母が何時も唄っていた歌がありました。その歌が何だったか今は思い出しません。3月号の「いのり」で、親不孝にも忘れていた母を思い出させてくれました。ありがとうございます。
水野源三著第二詩集より
まばたきつづった詩
口も手足もきかなくなった私を
28年間も 世話をしてくれ
母
良い詩を作くるようにと
四季の花を 咲かせてくれた
母
まばたきでつづった 詩をひとつ残らず
ノートにかいておいてくれた
母
詩を書いてやれないのが 悲しいと言って
天国にめされていった
母
今も夢の中で 老眼鏡をかけ
書きつづけていてくれる
母
そのやさしさに
雲雀がさえずり すみれが咲く
野で遊んで来た幼い姪は 私に聞くんです
毎日退屈しないの? 野へ行きたくない?
そのやさしさに おもいやりに
私は ただほほえむだけです
み愛
亡き母にかわって 義妹が入れてくれた
香り良い新茶を さめないうちに
おのみください できたら草餅も お食べください
主よあなたが 私を案じて お訪ねくださった
そのみ愛だけで 私は十分なのです
亡母(はは)の生家
バスも通らない坂道を 弟を背負った母に連れられていった
風が吹くたびに りんごの白い花が舞い散っていた
亡母の生家
いとこ達とはしゃぎすぎて 祖父にやさしく叱られた
夜も昼もやすみなく
水車のまわる音だけがしていた
亡母の生家
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」