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バラ・マカルピン 日本伝道百年史
水垣 清著
(元中津川教会牧師・元「キリストへの時間」ラジオ説教者)
19 南長老教会ミッションの最盛期・・・3・・・
前記の須崎在任時代のこと、マカルピン師は遠く幡多郡の宿毛町にも伝道されて、最初の会堂建築のために努力された。この宿毛に最初の定住伝道者となった人は大正4年(1915)、神戸神学校を卒業した長尾丁郎(ていろう)氏であるが、夏季伝道に伊達量平教師(現日本キリスト改革派教会隠退教師)も伝道され、当時、町内の竹内明太郎氏(吉田茂元首相の兄)の住宅を一軒借り受けて、7~8名の信徒で集会をしていた。
会堂建築用の土地70余坪を資産として所有していたが、大正13年2月、今西延幸伝道師が赴任して、R・E・マカルピン師から2500円の融通を受けて会堂建築を計画した。そして大正14年(1925)の夏、献堂式を執行した。参加者は高知教会の多田 素牧師、田中剛二教師(現日本キリスト改革派神港教会)、橋田利助教師(現日本キリスト教団名古屋桜山教会名誉牧師)、J・H・ブレーデ宣教師で、マカルピン師は夫人の健康がすぐれず御殿場に行かれて欠席されたようである。
マカルピン師は豊橋で前任者パットン婦人宣教師の後を継いで、その晩年を活躍された。マカルピン師は赴任すると、借家を間借りで経営していた旭幼稚園のために、市内前畑町の市電停留所近くの東北裏側に50坪の土地を借りて、建坪50坪の園舎を苦心して建設し幼児教育と伝道のために園長となって尽力された。
そうして「折角立派な園舎が建っても、当局の認可がなかなか下りない。申請を出して度々県庁に足を運び一か年が経っても音沙汰もなく、流石のマカルピン師も怒って、県庁の係に“今日は貴方がたの首を貰いに来た”と言ったという」(日本基督教団豊橋教会60年略史)。残念なことに、この明るい美しい園舎も、昭和20年(1945)の戦災のためにいっさい失ってしまった。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」