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「小閑記」
弟子たちはユダヤ人をおそれて、自分たちのおる所の戸をみな閉めていると、イエスがはいってきて彼らの中に立ち、「安かれ」と言われた。
=ヨハネ20:19=
イエス様を救い主の信じて歩んできた弟子たちや当時の人々にとって、イエス様の十字架の死は敗北と、恥辱、落胆と嘲笑という、耐え難い悲しみであったことでしょう。弟子たちは自ら閉じ込めさせてしまいました。自分自身の不信、不安な心を恐れ、他人を恐れました。彼れらはイエス様をイエス様の言う通りの人物だと信用して、彼らの仲間に入り、イエスこそイスラエルの希望であると宣べ伝えていました。それなのに、今、イエス様は死んでしまったのです。その死を見、槍で刺される姿を見、ヨセフが墓にイエスを入れるのを見ていたのです。
正直な人にとって、この事実は辛いことです。彼らは救い主を失い、未来を失ってしまったのです。主が生きておられるという噂は、弟子のトマスにも伝わり、自分の指を釘のあとに差し入れ、手を主の脇に差し入れるまでは信じないと言わせました。もう一度失望することは、トマスには耐えられないことでした。
しかし、彼らが気付く前に、生けるイエスが部屋の真ん中に立たれました。カギをかけた扉を通って、主は愛する者たちの所へ現われ、平安をお与えになりました。ごらん、この手と脇をと!!
あなたはイエス様を失いましたか。あなたの魂が愛している主イエスを失ったように思うのですか。否、あなたは失ってはおりません。主は生きておられて、やがてあなたも私も今よりはるかに大いなる栄光ある主にお目にかかるのです。
私やあなたの心の扉が悲しみや疑いや冷ややかな軽蔑の眼差しに打ちのめされているように見えても、今までよりも大いなる栄光を見ます。主イエスは、この悲惨な現実のただ中に、この世界の真っただ中に立たれます。
主イエス・キリストは世界の暗黒と絶望の中に、たびたびお立ちくださいました。不安におののき、独り悲しみの祈り人の部屋に、よみがえりの主イエスは、お立ちくださいます。暗い地下壕におられる人々に、輝きの光を下さいます。諦めないでください。不安でも、世界の祈りの友の励ましを信じてください。そのただ中に、祈る人の心に主イエス・キリストはお立ちくださり、「平安あれ」と言われるのです。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」