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第103課 結びの言葉:個人的挨拶
=16:1~27=
B ローマの多くのキリスト信者への挨拶
=16:3~6=
また、ここの個所で注目しなくてはならないもう一つのことは、女性たちが福音宣教の有力な働き人であったということである。「最初から女性たちは福音宣教において、活動的かつ重要な役割を果たしていた。彼女たちは最も忠実な人々であり、十字架の下に最後まで留まり、また、墓においても最初の復活の発見者であった」(ホッジ)。フイベのほかに数人の女性たちがパウロの友人のリストの中に出ている。プリスカ、マリヤ、ユニアス、ツルナバ、ツルソバ、ペルシス、ルポスの母、ユリヤ、ネレオの姉妹などである。
これら人々の中にある者について、パウロは彼女たちが主にあって働いていたとか、主にあって多くの労したことを述べている。プリスカとその夫アクラとはイエス・キリストにあるパウロを援助者の中の一人であった。
パウロは女性嫌いであったなどと言う人々がいる。パウロが教会政治についてのその教えの中で、女性について語っていることから、このようなことが言われているのである。しかし、パウロは女性嫌いどころか、福音宣教に於いての女性たちの働きを高く評価し、感謝し、歓迎していることは明らかである。
パウロの時代に於いてそうであったように、現代の教会の中にあっても、女性が就くことができない牧師職や長老職のほかに、女性が奉仕できる多くの領域があることを覚えたい。16章に出てくる女性たちが、男性に限定された教会の役職に就こうとしないので、彼女たちに適当であるような形で奉仕に、心から献身していたということは確かなのである。彼女たちは男性に遥かに勝ってなしうるような役務があったと考えられるし、また女性しかできないこともあったと思われるのである。
「きよい接吻をもって、互いにあいさつをかわしなさい。キリストの全ての教会から、あなたがたによろしく」(16節)。
この節にある原則は現今においても生きているが、詳細な形式は私たちを縛るものではない。互いに挨拶を交わすことは大切であるが、接吻する必要はない。あの時代はそれが日常生活の挨拶であったが、今は違うのである。正確な表現は私たちに必要であるが、形式は私たちを縛るものではない(ホッジ)。
友情に満ちた握手、明るく親しい言葉のやり取りなどが求められている。今の世の中は特にそうであるが教会でも挨拶することを避ける人々が増加している。冷たい言葉や態度は避けて、主にある者にふさわしい態度と物腰を持って交わるべきである。もしそうでなければ、この16節で神が与えられた勧告に背く罪を犯すことにもなろう。現代の様な世相の中にあっては、キリスト者交わりは貴重なものというべきである。
J・G・ヴォス著
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」