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十戒と主の祈り
鈴木英昭著
(元日本キリスト改革派名古屋教会牧師)
主の祈り(文語)
天にまします我らの父よ
願わくは
み名をあがめさせたまえ
み国を来たらせたまえ
み心の天に成る如く地にもなさせたまえ
我らの日用の糧を今日も与えたまえ
我らに罪を犯す者を我らが赦す如く我らの罪をも赦したまえ
我らを試みに遭わせず悪より救い出したまえ
国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり
アーメン
=御名=
第一の祈り④・自分を崇める
創世記11:1~4,ヨハネ12:27~28
ノアの洪水の以後、人々は再び増えました。創世記11章のはじめの部分を読んでいただきました。そこには人々がバベルの塔を築いたことが記されています。彼らは何の目的でこのような塔を建てたのでしょう。人が最初に造られた時、やがて数が増え、地に満ちることになることが神から人に与えられたことが目的の一つでした。しかし、この11章4節には、人々は塔を建てて集まり、「全地に散らされないようにしよう」と言って、神の命令に逆らいました。彼らがそのようにした動機は、建てた塔のことで「有名になろう」、すなわち、「自分たちの栄光を現わそう」という強い願いがあったためでした。
結果として有名になるのであれば、それは避けられないことですが、バベルの人々は、有名になること、自分たちの名が崇められること、栄光を自分たちに帰すことが目的で、この塔を建てました。このように、私たちは彼らの子孫として、常に自分を崇めたいという性質を大なり小なり持っていることを示しています。
「御名を崇める」ことに関して、アーサー・ピンクという人(1886~1952年、移民としてアメリカにわたり、アメリカの教育を受け、牧師になり、1934年にスコットランドに戻り、前後の30年間「聖書研究」という月刊誌に書き続けたものが、書籍になっている)は、主の祈りの第一の祈りに関連して、神の御名を妨げている自分の罪を嘆く必要があると教えています。
そして(1)避けるように願うべきことが、自尊心、熱心さの欠けた冷ややかさ、意志の頑なさ、生活の不潔さという4つの点を挙げています。その反対に(2)積極的に求めるべき点としては、神を知る知識が豊かになること、清い畏れが心に増すこと、信仰と希望と愛が増し加わること、そして、自分の賜物を正しく積極的に用いることの4点を挙げています。
17世紀のオランダの神学者でウイトシウスという人は、「主の祈りの講解」のなかで、神の御名を崇めることを願っているなら、神に仕えるのに自分に欠けた点を、人が補ってくれるのを喜ぶはずであること、また、他の人が自分より能力があって神に貢献しているのを喜ぶはずであること。この二点がチェック・ポイントであることを語っています。
キリストご自身の実例を考えてみましょう。今回の聖書の個所に、十字架を思って心を騒がせられた主イエスがヨハネによる福音書12章28節で、「父よ、御名の栄光を現わしてください」と祈られました。公生涯の終わりが近づいた時、主はこのようにご自分によって、父の御名の栄光が現れることを願われました。
死を前にした御子にとって、父の御名の栄光を現わすことが最後の関心事として、そのことを願われたということは、御父の栄光が最も大切なことであることを意味します。私たちが神の栄光を現わすことができるなら、それが何よりも幸福であるということです。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」