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「小閑記」
わが魂は絶えいるばかりに 主の大庭を慕い、
わが心とわが身は 生ける神にむかって喜び歌います。
=詩編84:2=
キリスト者の生活のしるしは、望みに生きる、または憧れに生きる生活と言うものだと言われています。感謝なことに、私たちがだんだんと、罪とこの世の執着から逃れると、神様を求める心が私たちの内に強くなってきます。
ある信仰の先達は、キリスト者の憧れは3つの枝にわかれると言いました(クリスチャン・スクリーパー)。
信仰によって、キリストの内にあろうとあこがれる、愛によってキリストのために生きようとあこがれる、希望によって、この世を去ってキリストと共にありたいとあこがれる、というのです。
このキリスト者生活の三つの面は、パウロにあっては非常に顕著であります。パウロは、キリストをとらえようと追い求めます。パウロは主イエス・キリストから賜わった神の恵みの祝福を証しする任務を果たしさえしたら、この命は、自分にとって少しも惜しいとは思わず、そして、この世を去ってゆくことをあこがれています。
このキリストのみこころを、ますますわがものにしたいと望むこの静かな、そうして強い欲求は、私たちキリスト者の生活において認めうることではないでしょうか。この欲求こそが、特に私たちをひざまずかせ、心の底からの涙と祈りを呼び起こすものではないでしょうか。心の中の平安がすべてになり、あこがれがキリストへと引き寄せる時、私たちは何と不思議な喜びを経験することでしょう。
キリスト者一人ひとりがこのこの崇高な憧れを追い求め、日々の事柄に追われて大切なものを見失わないように、信仰という「真の道」に進みましょう。
讃美歌320番
主よ、みもとに近づかん、 のぼる道は十字架に
ありともなど、 かなしむべき、主よ、みもとに 近づかん。
アーメン
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」