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「今月のことば」
涙をもって種まく者は、
喜びの声をもって刈り取る。
=詩編126・5=
混迷の時代、先の見えない日々に神様は、このみ言葉をもって希望を見出させ、喜びへと導いてくださいます。
神様は私たちをそのみ恵みの内に受け入れてくださったときに与えてくださった心は、何でしょうか。今の同時代の人々に対する責任感と、世の人々をキリストへと導きたいという望みを私たちの心に育て、育んで下さることではないでしょうか。
神様は「混沌とした闇に光あれ」といわれ、光と夜とに分け・・。良かったと言われましたように(創世記1:1~)、今の世にもそれをお望みです。その役割を、土の器、罪の人間(私たち)を用いて為されるとは、信じ難い光栄であり、大役でもあります。
キリスト者は、この大役にたじろぎ、その歩を止めるとしたら、それは、自分の力や熱心で事に当たろうとした結末です。それが不成功であったことを見ると、不遜にも、その心はしばしば心折れ痛み、疑いに満たされてしまいます。特に生真面目な説教者たちや、熱心に教会の活動に、伝道の働きに関わった者が陥る、挫折感には深いものがあります。でも立ち止まってはなりません。
親は子供に夢を託し、愛情を注ぎ努力した結果を、気ままな生活をしている姿を見る時、虚しさを味わうと言います。もしそうなら、神様は私たちに託した役割の結果を見た時、そのようにお思いになるのでしょうか。
期待外れ、期待を裏切ったと、私たちが日常の中で思うのと同じように、神様はお思いになられるでしょうか。
すべての権をお持ちになる方を信じる信仰を告白し、祈りを聞くお約束下さった方を信じると告白し、励んできた者には、時に疑いを抱かせるころもあるでしょう。しかしそれは誤りです。この「涙をもって種まく者には、喜びの声と刈り取りの喜び」を神様は祝福をもって与えるとお答えくださいました。
神様からの収穫は、額に汗し、涙を流すところに収穫があると言うのです。私たちの日々も同じではないでしょうか。そうであるからこそ、今の汗と涙は、喜びの約束でもあるのです。肉体が元気あることは大切です。しかし、もっと大切ものは信仰の心も元気ではないでしょうか!
主のために涙もて種まきに出て行き、
損失はわが心を悲しませども、
われらの涙の日の終わる時、
主はよろこび迎えたまわん。
讃美歌536番
1 むくいをのぞまで ひとにあたえよ、
こは主のかしこき みむねならずや。
水の上に落ちて ながれしたねもを、
いずこのきしにか 生いたつもの。
2 あさきこころもて ことをはからず、
みむねのまにまに ひたすらはげめ。
かぜに折られしと 見えし若木の、
おもわぬ木陰に ひともや宿さん。 アーメン
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」