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バラ・マカルピン 日本伝道百年史
水垣 清著
(元中津川教会牧師・元「キリストへの時間」ラジオ説教者)
21 マカルピン二世の来日
1934年(昭和9)8月18日、J・A・マカルピン氏とポーリン・スミス女史がカリフォルニアのバークレーにある女史の家で結婚式を挙げられた。
ポーリンさんの父は、フランク・ヘロン・スミス博士、母はアイバ・ガートリュード・バンフォート・スミスさんで、両親は北メゾジスト教会の宣教師として、1905年(明治38)名古屋に来られました。そして現日本基督教団名古屋中央教会の形成のため、またメソジスト女学校のため尽力され、その頃、当時、すぐれた宣教師として、同様に名古屋におられたR・E・マカルピン師とも知り合いになっておられた。
1909年(明治42)、両親は九州長崎に転任され、夫君はメソジスト派の鎮西学院の校長になられ、ポーリンさんは長崎の幼稚園に通われ、兄弟4人一家6人の楽しい時代を過ごされた。
1912年(明治45)から1カ年休暇で両親と帰米され、ローレンスにある父祖スミスさんの家に住まわれて小学校に入学、1913年、日本に帰り、すぐまた夫君が朝鮮の京城に教区長として転任されたので同時に行かれた。さらに夫君は1926年から1946年までカリフォルニアのバークレーに転勤駐在し、太平洋岸からミシシッピー河までの全日本人メソジスト教会の監督の責任に当たられた。
ポーリンさんは、幼稚園は日本の長崎、小学校はアメリカと朝鮮で、高等学校はアメリカと朝鮮の外国人高校、さらに大学はアメリカのカンサス大学、カリフォルニア大学院へと修学された。修学中も、会計の事務や大学教授の秘書として働き、また高等学校の英語教師としても良い経験を積まれた。さらに結婚まで東京の青山学院で教鞭をとられた。
ポーリン夫人とマカルピン氏の出会いは長崎で、1930年の感謝祭(11月の第4木曜日)であったと言う。J・A・マカルピン夫妻は結婚して最初の9カ月をミシガン州のポートランドで過ごされた。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」