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『その愛のゆえに』
=時々の記=
(196)
5月16日
朝から私は大変失礼をしでかしてしまいました。今朝の散歩で、塾での教え子のお母さんとばったり出会いました。もう35歳ぐらいになられているようです。私に向かって走ってきてくださるので何かあるのかなとは予感いたしました。優秀なお子さんでしたので、お母様の希望通りに大学卒業後、希望の所に就職されました。最近、何か不穏な気配が感じられたのですが、こちらからはそのようなことを聞くわけにはいきません。それで、私から息子が体の調子を崩して沖縄の研究室から郵便局へ転職したことを伝えました。するとお母様から一人息子が勤め先を辞めてしまったと言われました。びっくりいたしましたが、人生なんて、そのようなものなんだと私は思っています。順風満帆なんていう言葉がありますが、私には波乱万丈という言葉が合っています。
鳩あそぶ桜紅葉の木漏れ日に。
亡き犬の写真眺むやイースター。
モクモクと羊は草を食み続け。
アンデルセン慰めとなれ聖五月。
万緑や底ひに立つる川の浪 馬場路哉
5月18日
朝からお日様が照りだして気持ちの良いお天気となりました。少しずつ冬物を片付けています。今日は毛布を一枚洗いました。一日少しずつ進めていくと、何とか終わりになるのではと考えて焦らずにゆっくり夏用に移行しています。今朝の朝の散歩は少し離れたところまで歩いていると、“えらい張り切りやな” “もう年なんやから無理したらあかんで”と注意してくれました。転倒しやすい年齢になっているのがわかってくれたのでしょう、そのご挨拶をしてからは注意深く一足また一足と踏みしめて歩き続けました。
さすがにこの照り付ける太陽のもとを歩いていると汗ばんできました。自宅へ着くと水分補給に番茶をグイっと飲み干しました。主人はまだ山添村村内を歩いています。きっとどこかで休んで話し込んでいるのでしょう。
高きにてあぐらを組むかの棕櫚の花。
瞳澄む翁の描きし代田かな。
注意報防霜扇の必死なる。
踏青やランポーの詩を口ずさみ。
燕すいと迫りて家に入る。 馬場路哉
5月30日
昨夜はとても暑くて寝苦しかったです。今日もぐんぐん気温が上がってきました。
アカシアの花の群がる峠かな。
朴咲くや奈良名張扇道の上。
賛美歌を楽しく歌ひ聖五月。
つばくらのよろよろ飛びぬ若葉雨。
山に灯の点るをるかの椎若葉。 馬場路哉
6月1日
昨晩は今月の「小閑記」から二人で学びあいました。そして何度も読み返して暗唱しました。それは“信仰によってキリストのうちにあろうとあこがれる。愛によってキリストのために生きようとあこがれる。希望によってこの世を去ってキリストとともにありたいとあこがれる。”というところです。
信仰を与えられ謝す聖五月。
八朔の半ば彼もし花蜜に。
急逝す媼の畑のボタンかな。
傘寿にてゆっくり味はふちまきかな。
なすべりそ湿るなぞへに蕗を刈る。 馬場路哉
田舎では蕗(ふき)は勝手に収穫してはいけないといわれています。蕗はそれぞれの家の先代が植えてくれたものだからです。勝手に一人生えてきたものではなく、所有者がいるということなのです。ですから山の境目を知らないものはよその家の蕗を取ってしまう恐れがあります。我が家では主人しかできません。なかなか山の境目というのはわかりにくいところです。
馬場暁美
上野緑ケ丘教会会員
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」